「今の日本映画界で最も期待される若手映画監督
李 相日が加瀬亮、オダギリ ジョー、栗山千明という若手俳優を集め描く、閉塞した現代へのアジテート的な物語」
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(c)2005『スクラップ・ヘブン』
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日本映画、それも“ぴあフィルムフェスティバル(PFF)”で見出された映画監督の作品は面白いし、今後も注目すべきだということを以前書いた。歴史自体も長いので、このPFFが生み出してきた監督は本当に幅広い(系図的な“ピープル・ツリー”なんかを作るのも面白いと思う)。そのPFF出身の中で最近の出世頭といえば、PFFのスカラシップを利用して製作された劇場長編デビュー作『BORDER
LINE』の評価を受けて、村上龍の世代を超えて読み続けられる青春小説「69(シックスティナイン)」を宮藤官九郎の脚本により映画化した話題作『69
sixty nine』の監督にいきなり抜擢された李 相日(リ・サンイル)ではないだろうか。今回紹介する作品『スクラップ・ヘブン』はそんな李監督の待望の新作である。
物語はバスジャック事件から始まる。このバスに偶然、客として乗り合わせていたのが、デスクワークばかりの日々にうんざりしている若き警察官、ビル掃除を仕事とする若い男、サングラスをかけた女性だった。刑事課への移動を希望している警察官にとっては自分をアピールできる最高のチャンスだったが、警察官は何も出来なかった。それから3ヵ月後、警察での立場もなくなっていた警察官は街で偶然、同じバスに乗り合わせていた若い男に再会する。この出会いは満たされない思いを抱えた警察官にとって大きなものとなっていくのだが゙・・・・というのが、この作品のさわりである。
自分はこうありたいと思い警察官となったのに、夢想の中でしかその思いが遂げられない、最初の一歩が踏み出せない若き警察官。それに対して、他人には頼らず、自分で道を切り開いていく、行動的な若い男。こういった二人が出会い、意気投合していくとどうなるのか。当然、行動的な人間に夢想しか出来ない人間は感化されていくだろう。それがうまく回ればいいのだが、軌道をはずれれば暴走へと繋がっていく。現在の先も何もない、行き場のないような閉塞感を加味しながら、この作品はそうした部分を描いていく。
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(c)2005『スクラップ・ヘブン』
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主演は若き警察官役に加瀬亮、行動的な若い男役にオダギリ ジョー、同じバスに乗り合わせていた女性役に栗山千明という今の日本映画界で最も注目される3人の俳優たち。そのほか、柄本明、光石研、田中哲司、鈴木砂羽、山田辰夫などの個性的かつ実力派の面々が脇を固めている。
監督はこの作品について「『BORDER LINE』で10代から40代くらいまでの幅広い世代の人を描くことにチャレンジした後に、今の自分と同世代の人たちの話を作りたいなと思ったんです。30歳前後になると、10代の頃に想像していた輝かし未来じゃなく、すごくイヤーな先がちょっと見えてくるじゃないですか。でも、生きていかなくてはいけない。それで、自分と同世代の人の話をぜひやってみたくなったんです。」と語っている。自分と同世代、30代前後の話となるとある意味、まだ前向きな部分も、逆にどんづまってしまっている部分もあると思う。こうした発言を聞くと、その辺りを勇気付けるような物語を期待する向きもあるかもしれないが、そんな物語は山のように転がっている。この作品『スクラップ・ヘブン』はそうではなく、そうした同世代のどうしようもない日常をアジテートしようとした作品だ。監督は「明確にストレートに吐き出しちゃった恥ずかしさっていうのは残ってますけどね。」と照れながら語っているが、そうした点でこの作品は時代ときっちりと寝ているのだ。例えば、監督があの忌々しいバブルの頃にこの世代だったら、こういう作品を撮っただろうか。多分撮らなかっただろうし、撮らしてもらえなかったのではないだろうか。
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表向きはビルの掃除屋をやっているオダギリ ジョー演じる若い男が、加瀬亮演じる警察官を誘い込むのは想像力のない世の中に想像力を与える“復讐屋”という裏稼業である。トイレに復讐依頼の連絡先を書きまくり、ある特定の場所でそれを受ける。復讐する相手は医療ミスを隠蔽したり、虐待を繰り返していた母親などだ。相手を殺したり、徹底的に痛めつけるのではなく、楽しみ、いじめの延長のような復讐。警察官にとっては仕事で成しえなかった正義の実行。ここにのめりこまないわけがない。のめりこんだ末に待っているものは自分たちの制御を超えた暴走でしかない。後半からエンディングにかけては賛否両論だろうが、僕自身はあれでいいと感じている。役者ではオダギリジョー、加瀬亮、柄本明が飛びぬけて光っている。
この作品を観て個人的に思ったのは「やはり、この監督は脚本も自分で書くべきだな」ということだった。村上龍の『69
sixty nine』はそれが狙いでもあったんだろうが、原作の持つ重さが一切取り払われていた。仮に李監督が脚本も書いていたなら、あんな能天気な作品にはならなかったのではないだろうか。今後もオリジナルな面白い作品を作り上げていける監督だと思う。『スクラップ・ヘブン』、ぜひ、劇場に足を運んでください。 |