「ニクソン大統領を暗殺しようとした普通の男をドキュメンタリー・タッチで描いた、現代にも通じる普遍的な内容を持つ作品」
アメリカでは“最も尊敬する人物”の第1位になるのは常に現職の大統領であるという記事を読んだことがある。今の世界的には「最悪!」と断言される息子もきっとそうなんだろう。この現職の大統領以前に物凄く評判の悪かった大統領として思い出すのがリチャード・ニクソンである。ニクソンの半生はオリヴァー・ストーン監督により『ニクソン』(1995)として映画化されているし、自らを辞任に追い込むことになったウォーターゲート事件の内幕を描いた『大統領の陰謀』(1976)という傑作もある(余談だが、事件を暴いた記者二人のその後の道程も対照的で興味深い)。ニクソンが嫌われた理由は時代背景もあるだろうが、なんといっても苦みばしったような、笑うことが絵にならないあの顔にあったのではないだろうか。今回紹介する作品は、そんなニクソン大統領を殺そうとした男の物語『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』である。
アメリカ国内でも多くの人々から嫌われ続けたニクソン大統領だが、辞任以降、1994年に亡くなるまでの晩年期にはある程度の名誉回復を手にしている。要するにこれは時間がその傷を癒したということであろうが、ウォーターゲート事件やベトナム戦争を拡大してしまったという事実(結果的に終了もさせたのだが)は忘れられることがないだろう。そのニクソン大統領を暗殺しようとした男の物語、しかも実話ベースとなれば、政治的なものを感じ取る向きは多いだろう。しかし、この男の物語は全く政治的ではない。普通のどこにでもいる人生を失敗しかかった男の物語なのである。
主人公は別居状態となった家族との関係を何とか立て直そうとしている男。家具店のセールスマンとして働く彼は社長の勧めもあり、カーネギーの自己啓発テープを聞くなどして、なんとか営業成績をあげようとしている。しかし、不器用で潔癖な性格の彼の成績はあがらない。それはセールスマンに向かない彼の性格ゆえであったが、そのことに気づきながらも変えられない彼はどんどんと自己崩壊を起こし、その矛先はニクソン大統領へと向かっていくというのが、この作品の物語である。なぜ、自分自身の不甲斐なさがニクソン大統領暗殺へと向かっていくのかはこの物語のひとつのキーとなるため説明はしないが、普通のどこにでもいる必死に生きようとしている男、今風に言えば“ダメ男”がどうしてそうなったのかという物語は現在という揺れる時代のあり方にも通じる部分があると思う。
この作品が監督デビュー作であり、脚本も手掛けているニルス・ミュラー監督は「最初はフィクションの脚本を30ページ程書いていた。そして、アメリカで起こった暗殺や暗殺未遂事件を調べ始めたところ、(この作品の主人公である)サム・ビックの短い記述を見つけ、彼のことを初めて知った。実は僕がそれまで勝手に書いていた物語は実際に存在した話だったんだ。」と作品について語っている。作品自体は1999年に製作企画がスタートしているが、資金繰りがままならず、結果的にそれから完成まで数年という長い期間を要している。しかし、作品自体の持つ大きな力はレオナルド・ディカプリオ、アレクサンダー・ペイン監督(ニルス・ミュラー監督とはUCLAの映画学科の同級生だという)の力添えを生み、当初から主演をアナウンスされていたショーン・ペンの気持ちを変化させることもなかった。ショーン・ペンは「絶対にこの役を演じたかったし、例えどんなに時間がかかろうと出演を降りるつもりはなかった。」と作品に対する並々ならぬ意欲を語っている(そして、もちろん、素晴らしい演技を見せている)。
その他の出演者はナオミ・ワッツ、ドン・チードル、ジャック・トンプソンなど。
この映画を気に入るのかは主人公であるサム・ビックをどのように受け取るのかによるだろう。どんな時代にもいる職を転々としながら、安定することのない生活を送る男。でも、彼が求めているのは家族と暮らすという安定だけなのである。そのためには成功を手にしなければならないと考え、男なりに必死に真面目に働くのだが、報われることがない。先にも書いたように“ダメ男”なのである。だから、所詮“ダメ男”の話じゃないとなったら、きっとこの作品はダメだと思う。でも、そうではなく、この作品に自分との類似性や時代に対する普遍性を感じ取ったのなら、受け入れることができるはずだ。作品の物語はショーン・ペンの迫真の演技による男の心情、心理的な崩壊をドキュメンタリータッチで綴るように描いていく。結果的に男が起こそうとしたことはあの9.11に類似することである。ただ、この作品についてはそうした部分はオマケでしかない。アメリカン・ドリームというものを信じながらもそれに乗れなかった男、世間的には敗者でしかなく、歴史的にも忘れ去られていた男の物語は富むものとそうではないものとの格差がより一層広がる現代という時代にこそ訴えるものがある内容になっている。作品の中で印象的なシーンにセールスマンとして失敗した主人公が潔癖な性格なはずなのに世の中は金だと思い込んでいく部分がある。でも、その金すら簡単には手に入らないのだ。世の中は金だという風潮は舞台となる70年代より現在の方がより一層大きくなっている。極端な言い方をすれば、見えないところで現実にはない途方もない金額が飛び交い世界経済が動かされているというのが現在の資本主義と呼ばれるものでもある。こういった時代にはサム・ビックのような人物はいくらでも存在するし、彼らが抱えた気持ちは大統領暗殺ではなくとも様々な部分に放射されていく。この病んだ男の物語は自分の隣はもちろん、自分自身が抱えているかもしれないものであり、世界がより大きく抱えてしまったものでもあるのだろう。だからこそ、この作品は世界を知りたいと思うものにとっては好き嫌いに関わらず立ち止まらざる得ない内容となっているはずだ。ぜひ、劇場に足を運んでください。
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