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『NOTHING<ナッシング>』

配給:クロックワークス
オフィシャルサイト:
http://www.klockworx.com/nothing/
この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
デビッド・ヒューレット
アンドリュー・ミラー
ボビー
マリー=ジョゼ・クローズ
アンドリュー・ロワリー
ゴードン・ピンセット
監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ
製作:スティーブ・ホーバン
脚本:ザ・ドリューズ
撮影:デレク・ロジャース
編集:ミシェル・コンロイ
プロダクション・デザイン:
 ジャスナ・ステファノヴィッチ
 ピーター・コスコ
衣装:アレックス・カバナー
音楽:マイケル・アンドリュース

2003/カナダ、日本/
シネマスコープ/ドルビーSR/
1時間29分


イントロダクション
「『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリ監督が繰り出す衝撃の映像。そこは本当に何もない真っ白な世界。その世界に行ってしまったダメ男ふたりの運命は」
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 理由もなく、死という罠が仕掛けられた立方体に閉じ込められた人々を描いた作品『CUBE』で世界中の映画ファンを熱狂させ(異なるスタッフで製作された続編はどうしようもない作品だったが)、産業スパイになった男が記憶の迷路に迷い込んでいくというサスペンス・タッチの作品『カンパニーマン』も印象的だった映画監督ヴィンチェンゾ・ナタリ。彼の待望の新作が公開される。それが今回紹介する『NOTHING<ナッシング>』である。
 先の読めないサスペンスフルな物語展開、映像の素晴らしさという映画的面白みに満ちた『CUBE』、『カンパニーマン』に続く、この『NOTHINNG<ナッシング』はその映画的な面白みを更に突き進んだ内容を持った作品である。それは「驚嘆!」でもあるのだが、「そういうのもありなの?」という反応も間違いなく引き出すであろう“特殊”な作品である。
 物語の主人公は9歳の頃からの友人で、10年以上も互いに部屋をシェアし続けるふたりの男性。このふたり、実は大きな問題を抱えている。ひとりはあまりにも自己中心的、もうひとりは引きこもり、要は世間というものになじめないふたりなのだ。そんな状況でもひとりは外で働き、買い物などをし、ひとりは家の中で働きながら家事を仕切るという形でふたりの関係はうまく廻っていた。でも、そんな関係はあっという間に終わりを告げる。仕事や大切なものを失った上に、住処の立ち退きを要求されたのだった。その猶予は数時間。世間から完全に見放されたふたりはその状況に「人も何もないところに行きたい」と叫ぶしかなかった。その声が届いたわけではないだろうが、あまりにも大きな変化が起こる。世界は彼らと彼らの住居だけを残し、消失していたのだ。
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 なんといっても彼らの周りが消失した世界の映像が衝撃的である。それは白抜きの空間なのだ。存在するものは彼らふたりと彼らの暮らしていた家、その中に存在したものだけである。しかも彼らは物を生む能力は持たずとも、物、嫌な記憶などを消せる能力を手に入れてしまう。頭の中で願えば、すべては“無”へとかえるのだ。全てを消失できる能力、そして自分たち以外は何もない世界、まさにタイトルどおりの『NOTHING<ナッシング』である。
 ヴィンチェンゾ・ナタリ監督がこの作品のアイデアを思いついたのは“無”という概念に惹かれていた1998年のことだったという。その後、彼はこの作品の主演俳優であるデビッド・ヒューレットとアンドリュー・ミラーを呼び、この“無”という概念から生まれた『NOTHING』のコンセプトについて話し合い、おおよそのプロットを完成させている。ただ、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督はそれだけではなく「デビッド・ヒューレットとアンドリュー・ミラーという『CUBE』で印象深かったふたりの俳優だけでどれくらいの長編を制作できるかという試みでもあった」とも語っている。1時間30分ほどのこの作品の3分の2以上はこのふたりの俳優により、真っ白な世界をバックに演じられている。
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 ドラえもんのエピソードの中で、のび太以外の全ての生物が消えてしまうというものがあった。この世にはのび太ただひとりのみ。その状況を最初は存分に楽しんでいたのび太だが、あっという間に寂しさに覆われてしまう。このエピソードはこの世から自分以外の生物を消去してしまったのび太が、寂しさから逆の意味合いの発言をすることにより、元の世界へと戻ったはずだ。「親なんか、あいつなんか、いなくなればいい」という想いを抱えた子供たちへの反面教師的な部分がこのドラえもんのエピソードには込められているのだろうが、この作品『NOTHING』では自分たちと生活の場である家以外の全てがなくなってしまう。展開されているのは(観る側にとっても)まぶしくて仕方がない“白抜きの世界”だ。当座の食料と自分たち以外の人を求めて、彼らは何もない世界へと踏み出す。ひとりで残されるという恐怖心は引きこもりの男すら外へと向かわせてしまう。安心感がなくなっているのだ。歩くと“ビョンビョン”と音を立て、弾む、スポンジか豆腐のような地面を進んでいく様はまるで人生を賭けた冒険のようだ。でも、彼らは何も発見できず、何もないという安心を少し手に入れ、まったりとした以前の世界と変わらない楽しき日々、TVゲーム三昧の日々に戻っていく。しかも彼らは嫌なものの存在や記憶を消すという能力すら手にするのだ。それは自分たちが望んでいた最高の日々の始まりになるはずだったのだが、思わぬ事態が持ち上がってくる。
 ファンタジックなダメ男ふたりの幼い頃からの歴史のナレーションで始まるこの作品、全体のトーンは徹底的なくどいほどのコメディである。あんまりにもくどすぎるのでそこに辟易する向きもあるかもしれないが、このくどさはふたりのあまりにも単調なお気楽な生活にも重なってくる。TVゲームや馬鹿騒ぎ以外、ほとんど何もやることがないのだ。そんな単調な楽しみの行く末は決まっている。人間がふたりきりでいれば起こってしまう必然的な帰結である。その辺の描き方も秀逸。ヴィンチェンゾ・ナタリ監督にっては大いなる実験の作品であったかもしれないが、この黒さは観る側に色々な部分を想起させるし、なんといっても映像に本当に眼がくらむ。ちなみにヴィンチェンゾ・ナタリ監督が消去したい人物は“ジョージ・ブッシュ(jr.)”とのこと。この衝撃をぜひ、劇場で味わってください。

ストーリー
「彼女に騙され、仕事はクビ。その上、住処まで立ち退き。行き場のないダメ男ふたりがたどり着いたのは彼らしかいない世界だった」
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  舞台はカナダのトロント。ここで一軒の家にふたりで暮らすデイブとアンドリュー。幼い頃からの親友で、10年以上もここで暮らし続けるふたりはちょっと人間的な問題を抱えている。デイブはあまりにも自己中心的、アンドリューは引きこもり。それでもふたりの生活は外で働き、買い物などをするデイブ、家で働き、家事などをこなすアンドリューという形でうまくまわっていたが、そんな日々も終わりを告げる。デイブが彼女と同棲を始めるというのだ。デイブは家を出て、アンドリューはこれから先の日々に不安を憶え続ける。でも、それも一瞬で終わる。彼女のいいダシにされていたデイブは彼女と仕事を失い、元の住処へと戻ってくる。これからやり直しの生活と思っていたら、とんでもない状況が巻き起こる。高速道路建設のために、数時間後に彼らの家は強制撤去、取り壊しされることになったのだ。しかもアンドリューには幼女暴行の疑いで警察までやって来た。警察と役所の職員、機材などに取り囲まれた家。その中で彼らは「放っといてくれ!」と叫ぶとあたりの騒音は消える。そこは彼らと彼らの家だけしかないまぶしいほどに真っ白な世界だった。
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