「デビュー作『ユリョン』で絶賛を浴びたミン・ビョンチョン監督が5年ぶりに放つ人間と廃棄される運命のアンドロイドの愛を描いたSF作品」
韓国のアカデミー賞に当たる大鐘賞。1999年度のその賞で6部門を受賞したサスペンス・アクション作品が『ユリョン』だった。ちょうど、『シュリ』が公開され、日本でも大きな韓国映画ブームが起こっていた最中に公開されたので、記憶に留めている方もいるのではないだろうか。この劇場映画デビュー作である『ユリョン』で圧倒的な評価を獲得したミン・ビョンチョン監督の数年越しの待望の第2作目が公開される。それが今回紹介する『ナチュラル・シティ』である。
物語の舞台は2080年のソウル。メッカ・ライン・シティと改名されているソウルは遺伝子工学の進歩により、人間と用途に応じたアンドロイドが共存する巨大都市となっている。しかし、その裏では貧富の差も進み、都市はきらびやかな部分とスラムとに自然と分割されていた。また、アンドロイドは廃棄期限が決められていたが、そこを逃げ出し、反乱をおこすアンドロイド、逆にアンドロイドに愛情を持ち、不法に人間の意識を持たせよう、延命させようという人間も出てきていた。こうした現状は必然的にアンドロイドを処理する特殊部隊を生み出していた。作品の主人公はこの組織に所属する男。男はある女性と恋に落ちていた。その女性はショーガールのダンサー。アンドロイドだった。時間は流れ、廃棄期限は数日後に迫っていた。男は彼女を人間にするために闇の業者に接触するのだが、というのがこの作品の物語である。様々なタイプの作品が公開される韓国映画だが、その中でも数少ないSF映画がこの『ナチュラル・シティ』なのである。
監督のミン・ビョンチョンは自らがSF映画好きを認めた上で「この作品をSF映画にしたのは好きであることだけが理由ではありません。この恋愛関係を描くのに、SFというジャンルが一番しっくりくるように思えたのです。」と語っている。『ユリョン』の完成直後から取り掛かったというこの作品は脚本に2年、撮影に1年、ポストプロダクションに更に1年という時間を要したという。これが結果的に大ヒットしたデビュー作からこの2作目まで5年という歳月がかかった理由である。また、『ユリョン』は韓国初の潜水艦映画ということでも大きな話題となったが、今回の『ナチュラル・シティ』も韓国初の試みが行われている。それは100%デジタル処理された作品であるということである。ここでのデジタル処理とはフルCG映像やHDデジタルカメラで撮影されたというのではなく、35ミリのフィルムで撮影し、編集も終えた後、ポストプロダクションで映画全編をデジタルデータ化し、色調補正などを行ったことである。ハリウッドみたいに最先端の技術は望めないが、監督自身が出来る範囲で納得する作品をと手間隙を惜しまず完成させたのがこの『ナチュラル・シティ』なのである。
出演は『オールド・ボーイ』のユ・ジテ、『ロードムービー』のソ・リン、『イエローヘア』のイ・ジェウン、『友へ
チング』のユン・チャンなど。
作品のオープニング、ゼマンの作品のような自然に囲まれた未来都市の様子を女性がベンチに座りながら眺めている情景が映し出される(これは未来都市にとっての保養地である惑星の風景でバーチャル体験であることが後で分かる)。全体を貫くこのざらついたような、べたっとしたような映像の感触が印象的だ。メッカ・ライン・シティとなった都市部の映像は遠目にはNY+香港+上海、中身は『ブレード・ランナー』的な世界が広がっている。考えてみれば、設定も良く似ているのだ。ただ、それと違うのは人間とアンドロイドの愛を主題としていること。先に監督自身の言葉をあげたように、目指す恋愛関係を描くのにこのシチュエーションが必要だったのだ(また、監督はハリウッドのSFと違いを出すためにそ恋愛を押し出すようにしたとも語っている)。
アンドロイドを処理する部隊に所属する男が愛してしまったアンドロイドの廃棄期限と合わせるように、人間社会と自分たちの仲間に大きな危機をもたらすアンドロイドの反乱が起きる。この後はSF的要素に『マトリックス』的なアクションも満載で進んでいくのだが、やはり、作品の落ち着く先は愛である。SFではあるがSFと考えず、切ない愛、希望の物語としたほうが受け止めやすい作品ではないだろうか。実は韓国では散々な評価を受けた作品でもあるというが(韓国では自国製作のSFが受け入れにくいという話もある)、そういった見方をすれば、全体的な美しい映像、ストーリー展開もストレートに入ってくるSF作品だと思う(ユ・ジテのファンにはアクションシーンのかっこよさもたまらないはずだ)。韓流ファン、SFファンはもちろん、切ない愛の物語が好きな方も前評判などを気にせずに楽しんでもらえればと思う。ぜひ、劇場に足を運んでください。
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