「あの大ヒットコメディ 『ミート・ザ・ペアレンツ』の続編がやっと公開決定。今度の主役はあの花嫁の父と初登場の花婿の父。全く正反対のふたりが抱腹絶倒の大騒動を起こしていく」
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ネタ切れハリウッドなどと揶揄されたりもするが、アジア圏の映画をはじめとする世界中のヒット作のリメイク作品と共に多いなと感じるのが、続編である。元々、シリーズとして企画されていた作品ならいいが、前作の大ヒットを受けて作られる続編には公開前から「前作は超えられない」という意見も渦巻くのだから、プレッシャーも相当なものだろう。今回紹介する作品はそんなプレッシャーもあっさりと跳ね返した続編作品『ミート・ザ・ペアレンツ2』である。
『ミート・ザ・ペアレンツ2』の前編に当たる作品はそのタイトルからも分かるように『ミート・ザ・ペアレンツ』である。ベン・ステイラー扮する看護士の青年が彼女との結婚を承諾してもらうために彼女の両親に会いに行くが、その父親はCIAに勤務していた“人間嘘発見器”という異名を持つ、娘を溺愛する男。その場をうまく取り繕うとした看護士の行動は父親の反感を買い、事態は最悪の方向に向かい、ついに嘘発見器にまでかけられることへとなっていく、というもの。日本での興行成績はいまひとつのようだったが、アメリカをはじめ世界中で爆発的なヒットを記録。そして、そこから4年を経てこの続編『ミート・ザ・ペアレンツ2』が公開。この作品は前作のヒットを超え、全米歴代コメディ映画興収のNo.1を記録している。
この『ミート・ザ・ペアレンツ2』は彼女の父親になんとか結婚を承諾された看護士が、自分の両親と彼女の両親の顔合わせをし、週末を両家族で過ごす際の顛末を描いた作品である。今度の舞台は看護士の両親が暮らすマイアミ。彼の両親は堅物で疑い深い彼女の父親とは正反対のアメリカの自由な民主主義を体現しているかのような人物。この正反対のタイプが合うはずもなく、看護士の息子を巻き込んでの大騒動へと発展していく、というもの。
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そもそも続編など考えていなかった『ミート・ザ・ペアレンツ』にその機運が高まったのは評論家の受け良く、世界中で3億ドルを超える興収を記録したからだった。前作からこの続編を引き続き監督することになったジェイ・ローチと同じくプロデューサーのジェーン・ローゼンソルはそのためには「新しい作品として撮るに足る理由」と「いい物語」が必要だという意見で一致していた。こうして生まれたアイデアがお互いの両親の顔合わせだった。「看護士の青年はお互いの両親を合わせるのを怖がったと思います文化的にも社会的にもお互いが住む世界はかけ離れ、娘の父からすれば、看護士の家族は問題だらけ。事態が進むのは、看護士にとって恐ろしく暗い想像になります。」とジェイ・ローチ監督は語っている。ニューヨークという東海岸、マイアミという西海岸の住んでいる土地、全くタイプの違う職業などが生み出す性格、生き方的な差、彼女の父親からすれば許すことが出来ない部分を覆い隠そうと奮闘する看護士、そうした部分から彼が再び泥沼へとはまりまり込んでいく様をこの作品は面白おかしく描いていく。
出演は前作と同様のあの面子であるロバート・デニーロ、ベン・スティラー、テリー・ポロ、ブライス・ダナーにプラスして、監督、プロデューサー共に「このふたりしかなかった」と最初にイメージしたというダスティン・ホフマン、バーブラ・ストレイザンドというこれまたハリウッドを代表する大物俳優ふたり。
アメリカでの公開は昨年の12月。全米で記録的な興収を打ちたて、これだけ豪華なキャストが揃い踏みしている作品の日本公開がそれからほぼ1年後なんてあまりにも遅すぎるという感があるかもしれない。詳しい理由は分からないが、こういったアメリカン・コメディ的作品が日本では受け入れられ難いということだけは想像できる(それが笑いの質の差なのかは分からないが)。こういったコメディはアメリカでそれなりのヒットした作品でも日本では劇場公開されず、ビデオに流れたり、短期間の限定的な公開となってしまうことも多い。実はアメリカ映画の本質はこういったコメディ作品にもあるので、映画ファンとして悲しい想いをしている方も多いはずだ。
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やっと日本でも公開されるこの作品『ミート・ザ・ペアレンツ2』だが、前作を観ていなくても存分に笑える。でも、細かいエピソードは前作ときっちり繋がっているので、前作を観ておいた方がいいだろう。今回は現在ではなく、60年代、70年代の共和党と民主党という見方も出来るようなあまりにも対照的な父親像がとにかくおかしい。相変わらずの堅物ぶりのロバート・デニーロに対し、仕事をやめて主夫業に専念し、息子を育て上げてきたダスティン・ホフマン、もう水と油のような父親たちなのだ。この連中が合う訳がない。それを取り繕おうとして更に火に油を注いでいく状況を作り出す、愛すべき男である看護士のベン・ステイラーは前作と同様のパターンだ。先にも書いたが西と東、その育ち方、時代の影響の受け方の差が同世代なのに顕著に出ている。この辺はアメリカ人のツボだろうなと思う。そういったシーンは例えば、怒りから家に戻ると車を発車させようとしたデニーロを止めるためにホフマンが身を挺してとる行動など随所に盛り込まれている。ヒッピー、自由主義者の生き残りのようなホフマンだが、その妻であるバーブラ・ストレイザンドも同じように相当にはじけている(ちょっとジェーン・フォンダみたいだ)。そして“人間嘘発見器”という異名を持つデニーロが新たに向ける自らの嗅覚の矛先もうますぎるくらい、うまく出来ている。「サタデー・ナイト・ライブ」出身らしさをみせるベン・ステイラーの独演のシーンも最高だ。
ラストはもちろん常設通りだが、この落ちに今のアメリカへの何かを見るのは読みすぎだろうか(読みすぎだね)。前作同様にやりすぎと感じる向きはあるだろうが、いい役者たちによる過剰な演技がうまく収まった最高に楽しい1本だ。こういう作品こそ、デートにでも使って、楽しんでほしいのだが。今後のアメリカン・コメディ映画のためにもぜひ、劇場に脚を運んでください。 |