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『マザー・テレサ』

配給:東芝エンタティンメント
オフィシャルサイト:http://www.motherteresa.jp/

この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
オリビア・ハッセー
セバスティアーノ・ソマ
ラウラ・モランテ
ミハエル・メンドル
イングリッド・ルビオ
エミリー・ハミルトン
監督:ファブリツィオ・コスタ
製作:ルカ・ベルナベイ
脚本:
  フランチェスコ・スカルダマーリャ
撮影:ジョヴァンニ・ガラッソ
編集:アレッサンドロ・ルチディ
プロダクションデザイン:
  フランチェスコ・ブロンツィ
音楽:ギー・ファーレー

2003/イタリア、イギリス/
ヴィスタサイズ/SRD/1時間56分


イントロダクション
「貧しい人々のために生き、世界中から愛され、尊敬されたマザー・テレサの人生がオリビア・ハッセー主演により映画化」
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  マザー・テレサの名前を知ったのはノーベル平和賞を受賞したときだった。まだ子供だったのでその素晴らしさは分からなかったのだけれども、いまだにその時のニュースの印象は強く残っている。そんなマザー・テレサの人生を描いた作品が公開される。それが今回紹介する『マザー・テレサ』である。
 マザー・テレサは1910年に生まれ、1997年に亡くなっている。彼女は“貧しい人たちのそばにいたい”という想いを胸に、インドのカルカッタで“貧しい中の最も貧しい人に仕える修道会”「神の愛の宣教者会」を設立し、その後、孤児のための施設、ハンセン病患者のための施設などを開設、生涯を貧しい人々とともに生きた。ノーベル平和賞を受賞したのは1979年だが、そのスピーチで彼女は「私は受賞に値しないが、世界の最も貧しい人々に代わってこの賞を受けました。」と語っている。
  この作品が描き出すマザー・テレサの物語は彼女がインドに暮らして20年近く経った頃から始まる。テレサはすでに30代半ばである。その頃のインドではイスラム教徒とヒンズー教徒の暴動が頻発していた。テレサが赴任しているカルカッタにある学校の前でもそういった騒動が起こる。イスラム教にもヒンズー教にも肩入れせず、中間的な立場をとり続けることこそが生き残る道と考えていたカソリックはそういった暴動に関わることは禁じていたのだが、テレサは強引に門を開き、怪我人を受け入れる。それは困った人は助けるという彼女の素直な気持ちから出たものだったのだが、彼女は転任となってしまう。転任のために街中を歩き続けるテレサが見たのはお金、食べ物をくれと群がる子供や大人、行き倒れになる人々だった。そして彼女はダージリンへ向かう列車の中で神の啓示を聞く。それは「貧しい人々といるキリストに尽くしなさい」というものだった。このことを契機にテレサは修道会を退会し、カルカッタの路上、スラムでの慈善活動に入っていく。
  映画の中で30代半ばから死に伏せる80代後半までのマザー・テレサを演じるのはオリビア・ハッセー。『ロミオとジュリエット』のジュリエット役で有名だが、日本人にとっては布施明の妻であったこと、その当時に出ていたバラエティー番組などの印象が強いのではないだろうか。役者としての活動はコンスタントに続けていたが、決して作品に恵まれていたとはいえない彼女の日本での久々の劇場公開作品がこの『マザー・テレサ』になる。彼女はマザー・テレサを演じることについて「20年以上も願い続けていた夢だった。監督からオファーをいただいたときは、神からの贈り物のような気持ちだった。」と語っている。カソリックの家庭で育った彼女だが、この作品に出演するためにそれまで以上にマザー・テレサに関する本を読み、ドキュメンタリーも徹底的に見て、話し方や容姿などマザー・テレサになりきるための役作りを行ったという。その出来栄えには生前のマザー・テレサを知る人があまりにも似ているので驚いたというエピソードもある。イタリアのTVを中心に活躍してきたこの作品の監督であるファブリッツィオ・コスタも「オリビアがいなければ、たとえ仮想の世界であっても、私たちの間に蘇ったマザー・テレサを表現することはできなかったろう。」とオリビアを絶賛している。そんなオリビアと共演する役者陣は『息子の部屋』のラウラ・モランテ、『ヒトラー 最期の12日間』のミハエル・メンドル、『オペラ座/血の喝采』のセバスティアーノ・ソマ、『タクシー』のイングリッド・ルビオ、『月下の恋』のエミリー・ハミルトという面々。
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  インドという国で立ち回るためにヒンズーとイスラムなど他宗教には関わらないとするカソリック(他のキリスト教も同様だろう)。それは決まりごとではなく、そこで生き抜くための計算高さである。テレサにはそういった計算高さがない。私利私欲もなく、神の啓示を受け、貧しい人のために尽くし続けるだけだ。計算がないからこそ生まれたであろう推進力と周囲の人々をひきつける力。この作品が描くのはそこである。そういった部分ゆえに彼女は利用もされるのだが、そこすらも易々と超えていく。“全ては神の思し召し”なのである。体のいい言葉かもしれないが、マザー・テレサは宗教ではなく、魂の底からそう信じている。だから、自分が知らないうちにあまりにも大きくなりすぎていた非営利団体の会議の席上でミネラルウォーターの値段を知り、やめるという。ノーベル賞のパーティーでも同じことを考える。そういった彼女の無心な原動力を数々のエピソードを取り入れながら、この作品は描いていく。そんなマザー・テレサをオリビア・ハッセーもうまく演じている。
  ただ、惜しいと思うのはこれは仕方ないのだが、どうしても中身が薄っぺらく感じてしまうことだ。特にテレサが神の啓示を聞くまでの前半に比べると後半は駆け足という感が強い。調べてみると、イタリアでは180分(のTV映画)として放映されているようだ。インターナショナル・バージョンはこの公開バージョンということかもしれないが、せっかくなら180分の方が観てみたいと切に感じてしまった。それでもマザー・テレサがどんな人だったのかという取っ掛かりにはいい作品だと思う。ぜひ、劇場に足を運んでください。

ストーリー
「1946年、後にマザー・テレサと呼ばれる人物は神からの天恵を受ける」
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  1946年インドのカルカッタ。カソリックの女子高で教鞭をとっていたテレサはダージリンへの転任命令を受ける。それはテレサがイスラム教とヒンズー教の暴動で怪我を負った者を校内に入れて、手当てをしたからだった。困った人は助けるということからテレサは手当てをしたのだったが、どちらの宗教にも肩入れせず、中間的な立場を貫こうとしているカソリックにとってはそれは大きな問題であった。
 ダージリンへ行くためにテレサが見たのは、行き倒れになったり、食料やお金をくれとたかる人々、貧しき者たちの群れだった。そして、駅で彼女は行き倒れになった男の口からキリストが死の前におっしゃった言葉「私は渇く」を聞き、天恵を受ける。それは「貧しい人々といるキリストに尽くしなさい」というものだった。ここから後にマザー・テレサと呼ばれ、世界中から愛され、尊敬された女性の生き方が始まった。
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