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『女は男の未来だ』

配給:ビターズ・エンド
オフィシャルサイト:http://bitters.co.jp/mirai/

この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
ユ・ジテ
キム・テウ ホンジュン
ソン・ヒョナ ソナ
キム・ホジョン
監督:ホン・サンス
製作:イ・ハンナ
   マラン・カルミッツ
脚本 ホン・サンス
撮影:キム・ヒョング
編集:ハム・ソンウォン
音楽:チョン・ヨンジン

2004年/韓国、フランス/カラー/
1:1.85/ドルビーSRD/1時間28分


イントロダクション
「フランスで圧倒的な評価と人気を誇る『気まぐれな唇』のホン・サンス監督、相変わらずの独特のテンポと味わい、ダメさに満ちた癖になる最新作」
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 一般的に“韓流”としてメディアなどで大騒ぎされるスターが大きくフューチャーされた作品には余り関心がなくても、ヨーロッパを中心とした各地の映画祭で圧倒的な評価と支持を受ける監督の作品には大いに興味がある、このサイトのファンにはそういう方が多いのではないだろうか。例えば、新作『親切なクムジャさん』の公開も間近のパク・チャヌク、ヴェネチア映画祭、ベルリン映画祭と立て続けに監督賞を獲得した韓国映画界の異才キム・ギドク、そして今回紹介する作品『女は男の未来だ』の監督であるホン・サンスはその代表格である。
 1961年にソウルに生まれたホン・サンス監督は韓国の大学で映画制作を学んだ後にアメリカの大学へ留学。そこで美術学士号、美術修士号を取得し、多くの実験的な短編映画を手掛けてきた。その頃にロベール・ブレッソン監督の『田舎司祭の日記』を見て、大きな感銘を受け、その後、数ヶ月滞在したフランスで数々の映画監督を生み出した「シネマテーク・フランセーズ」に通いつめ、映画三昧の日々を送っている。長編映画デビューは1996年の『豚が井戸に落ちた日』。この作品でロッテルダム国際映画祭グランプリなどを受賞し、一躍、多く名注目を浴びる。日本では昨年(2004)に公開された『気まぐれな唇』の独特なタッチとテンポが印象に残っている方も多いのではないだろうか。その作品に続く最新作がこの『女は男の未来だ』である。
 舞台は初雪が降ったソウル。この日、大学で美術を教える後輩とアメリカから帰ってきた映画監督の先輩は久々の再会を果たす。ゆっくりとお酒を交わしながら、積もり積もった話をしているうちに行き着いたのは、ふたりが付き合っていたことのある女性のこと。先輩は彼女と付き合っている最中にアメリカへと逃避し、後輩は先輩がいなくなってから彼女と付き合っていたのだった。それは過ぎ去ったことなのだが、こうして話をしていれば、ふたりの気持ちは自然と盛り上がってくる。その内、彼女に会いに行こうということとなり、彼女が働くバーまで出向くのだが、というのが物語だ。
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 非常に意味深長なタイトルは監督がパリをブラブラとうろついていた時にみつけたポストカードに書かれていたものだという(原典はフランスのシュールレアリストのアラゴンの作品から)。作品についてのアイデアを練っているときにこのフレーズがよみがえり、頭から離れなくなった監督は作品タイトルに採用、その意味合いを「“未来”はまだ存在しない時間を表す。だからこのフレーズは“無”を意味する。“無”という明確なメッセージを持たないこのフレーズは、ささやかなカオスを作り出すのだ」と説明している。監督自身による説明も意味深長なのだが、その意味するところは作品を観ると分かったようで、分からないという感じでもある。
 出演は『オールド・ボーイ』のユ・ジテ(見事に大学講師らしい中年太り)、『JSA』のキム・テウ、『スカーレットレター』のソン・ヒョナ。
 昔付き合っていたひとりの彼女にふたりの男が酔った勢いもあり、会いに行こうとする。自分の残した罪を許して欲しいのか、未練があるのか、下心を持っているのか、その辺は作品を観てもらって、感じ、笑ってもらえばいいと思うが、そこまでもっていくやり方が絶妙。例えば、先輩と後輩はレストランで飲みながら会話を交わしているのだが、お互いが席を外している間に「僕の映画に出演しないか」、「僕の絵のモデルにならないか」とレストランのウェイトレスを口説き始めたり(結果は総すかんなんだけど)、レストランの窓の外に立っている誰とも分からない女性を眺めながら、頭の中ではお互いに彼女と付き合っていた頃のエッチな行為を思い出していたりしているのだ(実はこの女性たちは付き合っていた彼女に似ている。クローズアップが全くないので判別し難いが、多分、ソン・ヒョナが3役をやっているのではないだろうか)。
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 この作品は『気まぐれな唇』と同様に完全なシナリオがない状態で役者とのインタビューを基本に数ヶ月にわたるミーティングを積み重ねながら、作り上げている(この辺りはマイク・リー監督(『ヴェラ・ドレイク』)に近いものがある)。ユ・ジテは「監督は演出どおり演じることを求めてきます。その指示はディテールの細かい部分、一字一句までに及ぶのです。」と語っている。映画全体が独特の押さえ込まれたようなトーンに覆われているのはそこが大きいだろうし、このトーンがオフビート感覚と味わいを生み出している。ただ、このトーンが作品の好き嫌いを明確にするのも確かだ。
 ロベール・ブレッソン監督の『田舎司祭の日記』に衝撃を受けたという話を書いたが、ブレッソン監督の作品に通じる淡々としたトーンを考えるとその理由はよく分かる。ある方は小津やナンニ・モレッティなどを思い出すかも知れない。その辺を汲めば、この監督がヨーロッパ(特にフランス)で特集されるほど受けるという部分も理解できるはずだ。
 押さえ込まれていて、過剰ではないが、そこの部分が妙に癖になる味わいを生み出す『女は男の未来だ』。韓国映画好きだけでなく、ヨーロッパ映画好きにこそ味わってもらいたい作品です。ぜひ、劇場に脚を運んでください。

ストーリー
「アメリカ留学から戻ってきた映画監督の先輩と美術講師の後輩、久々の再会はふたりが付き合っていた共通の女性との再会へと繋がっていく」
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 いつもより遅い初雪が降ったソウル。大学で美術講師をしているムノは長いローンを抱えながらも手に入れた新居の前で、アメリカ留学から戻ってきた学生時代の先輩で、映画監督のホンジュンと久々に再会。ふたりは街のレストランでお酒を片手に、積り積った思い出話などを交わしていく。そして、ふたりが自然と行き着いたのは先輩が付き合っていながらもアメリカに留学するので置き去りにした彼女、ソナのこと。実は先輩が留学していた間にムノはソナと付き合っていたのだった。もちろん、そのことを先輩は知らない。その後のソナの消息を聞くうちに気分が盛り上がってきた先輩は「ソナに会いに行こう」と言い出す。最初は気乗りしなかったムノだが、結局、先輩と共にソナの経営するバーに向かうのだが。
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