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『メリンダとメリンダ』

配給:20世紀フォックス映画
オフィシャルサイト:
http://www.foxjapan.com/movies/melinda/
この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
ラダ・ミッチェル
クロエ・セヴィニーキウェテル
・イジョフォー

ウィル・フェレル
アマンダ・ピート
ジョニー・リー・ミラー
ウォーレス・ショーン
監督、脚本:ウディ・アレン
製作:レッティ・アロンソン
撮影:ヴィルモス・ジグモンド,A.S.C.
編集:アリサ・レプセルター
美術:サンド・ロカスト
衣装:ジュディ・ラスキン・ハウエル
2004/アメリカ/ヴィスタサイズ/
SR・SRD/1時間40分

イントロダクション
「『さよなら、さよならハリウッド』に続けて公開。ウディ・アレン監督の最新作にして、人生の悲劇と喜劇を描いた意欲作」
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©2005 TWENTIETH CENTURY FOX
  現在(2005/6)絶賛公開中の『さよなら、さよならハリウッド』。毎年、必ず新しい作品を届けていてくれたウディ・アレンの日本では3年ぶりの劇場公開作であるこの作品は「待っていました!」という熱心なファンだけでなく、より幅広い層に受け入れられているようだ。実はウディ・アレン自身は年に1作というペースを乱すことなく、新しい作品を発表し続け、多くのファンを喜ばせていたのだが、日本では公開が途切れていたのだ。そんな日本での“ウディ・アレンの空白期間”を埋めるように『さよなら、さよならハリウッド』に続き、2004年に発表された作品が公開される。それが今回紹介する作品『メリンダとメリンダ』である。
  ウディ・アレンの最近の作品は基本的にオールドタイムなコメディで、自らが主演する作品が多い。でも、中にはその傾向からははずれ、裏方(監督&脚本)に徹したり、一風違った味わいの内容となった作品もある。『セレブリティ』、『ギター弾きの恋』、『ブロードウェイと銃弾』なんかはそういった傾向の作品だろう。実は近年の作品ではウディ・アレン本人が主演しているもの、オールドタイムなコメディより、こういった作品をより好むファンも多くいる。で、今回紹介する『メリンダとメリンダ』は正にそういった傾向に当てはまる、ウディ・アレンとしてはちょっと冒険を試みたんだなと感じさせる作品となっている。
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©2005 TWENTIETH CENTURY FOX
  物語の発端はビストロでの劇作家とその仲間たちの会話。軽くお酒も入っているから生じたテーマ、それは“喜劇と悲劇ではどちらが人生に深みを与えているか”というもの。喜劇で名を馳せる劇作家はもちろん“喜劇”、悲劇で名を馳せる劇作家はもちろん“悲劇”と両者は譲ることがない。そこに友人のひとりがどちらとも受け取れるお題を提示する。両者はその話を“喜劇”と“悲劇”に仕立て、どちらが素晴らしいかを比べようとする。そこからニューヨークを舞台としたメリンダという同じ女性を主人公とした二つの物語が、細部を劇作家により構築されながら動き始める。
  出演は“喜劇”と“悲劇”の両方の物語で主人公のメリンダ役を演じる『マイ・ボディガード』、『ハイ・アート』のラダ・ミッチェルに加え、クロエ・セヴィニー、キウェテル・イジョフォー、ウィル・フェレル、アマンダ・ピートなど。俳優が最も出演を熱望するといわれるウディ・アレン監督の作品だが、今回もクロエ・セヴィニーの「ニューヨークをベースとする役者にとって、ウディ・アレンの映画に出るのは夢だと思う。」、アマンダ・ピートの「たとえセリフがふたつしかなかったとしても、この役を引き受けていたと思う。」などという発言にそれは表れている。もちろん、彼独特の撮影現場(リハーサルはせず、物語の全貌を見せない)も最高に役者魂を発揮させ、楽しかったに違いない。ちなみにウディ・アレンが出演しない作品で必ずいるウディ・アレン的役回りのキャラクターはウィル・フェレルが演じている。
  常に映画館に行っても「良かったな」、「損はしなかったな」という感慨を抱かせる(ま、個人的にですが)ウディ・アレンの作品だが、今回もその点では十二分に満足させるものになっている。ただ、最盛期の頃に比べれば、物足りなさがあるのも事実。今回の場合はちょっと詰め込みすぎた展開と最後のまとめ方にあるように思うんだけど、間違いなく面白いのだから大目に見よう。
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©2005 TWENTIETH CENTURY FOX
  ふたつの物語がちょっとしたセレクトで違う方向へと流れていく作品というのはありきたりな手法になってきたが、今回のウディ・アレンの場合、絶妙だなと思うのはオープニングの入り方。酔った上での軽い口論、そういう場が生み出す作り話の面白さと、やはり爺さんになって先も少なくなってきたウディ・アレン(今年70歳です)が人生の裏表を描こうとしたところだ。“喜劇”も“悲劇”もメリンダという女性がとあるアパートメントでのパーティーをしている部屋を訪ねることから始まる。ひとりのメリンダは旧友を訪ね、もうひとりのメリンダはたまたま同じアパートメントに住む住人。ふたりのメリンダの持つ過去も現在も違う。こんな風に始まる作り話が作品の中で入り混じりながら展開していく。このふたつの物語は“悲劇”といってもとことん暗いわけではなく、“喜劇”といっても底抜けに明るいわけではない従来のウディ・アレンのユーモア、皮肉、ペーソスなどに溢れた内容になっている。例えば、ひとつの物語だけでもウディ・アレンの作品だなと満足できる内容になっていたはずなのだ。でも、彼はそれを良しとせずにミックスし、セレクトと気持ちの置き方次第で変化していく人生の面白みを描いている。その気持ちの変化に乗せたデューク・エリントンのビッグ・バンド・ジャズとストラヴィンスキーのクラシックの使い分け、どうでもいいようなエンディングもたまらない。『さよなら、さよならハリウッド』のエンディングにも感じたが、それ以上にこの人の意欲は衰えていないんだなと感じさせる秀作。願わくば、本当に満足できる作品を残り少ない人生の中で楽しみながら撮ってもらえたらと思うのだが。ぜひ、劇場に足を運んでください(3年の空白に残されたもう1本も今年、観られるのだろうか)。   

ストーリー
「悲劇と喜劇のどちらが重要かという舞台作家の議論は同じ主人公の悲劇と喜劇を生み出していく」
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©2005 TWENTIETH CENTURY FOX
  ニューヨークのダウンタウンにあるビストロ。ここでテーブルを囲み、会話、議論に余念がない劇作家の仲間たち。話が盛り上がってくるうちに“喜劇と悲劇ではどちらが人生により深みを与えているか”というテーマに行き着いた。もちろん喜劇と断言する喜劇専門の舞台作家に対し、もちろん悲劇と対抗するのは悲劇専門の舞台作家だ。そこに仲間のひとりがどちらとも受け止められるお題を示してみせる。喜劇作家はそれを喜劇に、悲劇作家は悲劇に仕上げ、物語を語り始める。主人公はメリンダ。ふたつの物語共にメリンダがパーティーの行われているアパートメントの一室を訪ねることからスタートする。
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