「アイドルの世界の虚像を突く、1968年のパリの5月革命の最中に公開され大コケした作品が時代を経て再評価。正にカルトというべき伝説の作品が遂に公開」
ティーン・エイジャーと呼ばれる頃か、もしくはそれよりもう少し前、アイドルに熱狂した方は多いのではないだろうか。アイドルは時代を映す鏡ともいわれるが、今の時代には誰もが熱狂するようなアイドルは皆無となり、より身近で幅広い存在となってきている。ウォーホルの「誰もが15分間だけ有名人になれる」という発言の通りに、その辺の子があっという間にアイドルとなり、あっという間に消えていく、そんな時代になったのだ(プリクラ、インターネットでアイドル誕生!もあるわけだし)。今回紹介する『アイドルたち』はそんなアイドルを主人公とした作品である。
この作品『アイドルたち』は1968年にフランスで制作された作品である。この当時のフランスのアイドルといえば、女性ならシルヴィ・ヴァルタン、男性ならジョニー・アリディである。シルヴィ・ヴァルタンは当時の日本でも大人気のポップス・シンガーだったし(「アイドルを探せ」を口ずさめる人も多いだろう)、ジョニー・アリディは昨年公開されたパトリス・ルコント監督の作品『列車に乗った男』で主演をしていたので(革ジャンを来た男)、憶えている方も多いのではないだろうか。彼らが歌っていたフレンチ・ポップスは“イェイェ”と呼ばれており、それは当時の若者たちのスタイルにも繋がっていく。この“イェイェ”を簡単に説明するとすれば、「イギリスやアメリカのロックというスタイルに影響を受けたフレンチ・ポップス」とすることが出来るだろう。日本では“ロカビリー・ブーム”や“GS(グループ・サウンズ)・ブーム”があったように、ロックという波が与えた影響はシャンソン一辺倒だったフランスでは“イェイェ・ブーム”に繋がっていくのだ。この“イェ・イェ”の波が沸き起こったのは1960年。1961年にデビューしたシルヴィ・ヴァルタンはその愛らしいルックスとこうした背景から“イェイェ”の女王として世界中を席巻していく。ただ、この“イェイェ”ブームもこの作品の公開と合わせるように終焉にと向かう。時代は1968年、何度か書いたこともあるかもしれないが、世界のひとつの転換点となったとされる時代である。フランスでは“パリの5月革命”が起こっている。
この作品『アイドルたち』の舞台となるのは「アイドル・クラブ」の発表会。フランス中を席巻したアイドルたち3人により結成されるユニットのお披露目を兼ねているため、会場には多数の報道陣と幸運にも選ばれたファンたちが集っている。やり手のマネージャーたちが新たに仕組んだプロジェクトだったが、会見は彼らの思惑通りではなく、思わぬ方向へと転換していく、というのがこの作品の大筋だ。様々な回想シーン、ミュージカルシーン(歌)を挟みながら進んでいくこの作品が描いていくのは、虚像としてのアイドルの真の姿、アイドルとそれを生み出す者たちへの揶揄、皮肉、アンチテーゼである。監督はこの作品が日本で初めての公開作品となるマルク'O。映画のみならず、自ら劇団を興し、“カフェ・テアトル運動”(カフェの劇場化運動)を始めた人物としても知られている。『アイドルたち』もその活動の中で1964年に初演され、大評判となった舞台を映画化したものである。
主人公となるアイドルたちは“狂乱のジジ”ことエロイーズ、元占い師だった“魔術師シモン”、元ストリートの不良だった“短刀のチャーリー”という3人(このネーミング・センスのすごさ)。いずれもが今現在もしくはかって絶大な人気を誇ったアイドルたちだ。作品の中でマネージャーはアイドルを「人々の成功願望を一身に担う」と定義し、そのようにお行儀よく振舞うことを強いる。でも、そうした思惑は外れていく。結果的にアイドルが自分たちは虚像ではないということを押し出し始めたからだった。映画の中の彼らはアイドルのはずなのに、あまりにも調子はずれ、歌も踊りもメロメロだ。監督がそこを意図したのかは分からないが、そこ自体がアイドルという定義をぶっ壊している気がしないでもない。そして、彼らがマネージャーがいうアイドルの定義をぶち破るのは1968年という時代背景を考えれば偶然とはいえ必然でもあるのだ(作品の制作は1966年に始まり、8ヶ月の中断を経て、1967年に再開されている。ここも大きな影響があるはずだ)。監督はこの作品について「テーマは舞台で上演したものと同じだ。プロモーションにより犠牲となり、プライベートをも暴かれるという基本路線は変わっていない」と公開時に発言している。この作品は5月革命に重なることで、全くヒットせずに終わっている。リバイバル上映された1973年には「当時、映画で描いたショービジネスの法則は、歌は大手の会社に独占され、アイドルの商品価値はどんどんと短くなっている。職人のような歌い手の時代から、産業の時代へと変化したのだ」と語っている。音楽に限らず、この傾向に更なる拍車がかかっているのが今現在だということを否定する方は少ないだろう。この作品はこうした時代性から2004年に2度目のリバイバル上映が行われ、熱狂的に歓迎された。
作品のテーマはもちろん、当時の風俗でもある原色バリバリのトーン、キュートでキッチュな衣装は時代を超えているし、魅入られる方も多いはず。こうした風俗を観るだけでも楽しいが、やはりこの作品は当時の時代と寝ていた映画なのである。出来損ないのゴダール的なノリもその一部(演劇界のゴダールだったらしいが)。そうした部分も楽しみながら観ることが出来る正にカルトな作品だと思う。フレンチ好きはもちろん、映画好きなら映画館に足を運んでください。
|