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『ボブ・ディラン:ノー・ディレクション・ホーム』

配給:イメージフォーラム
オフィシャルサイト:
http://www.imageforum.co.jp/dylan/


キャスト スタッフ データ
ボブ・ディラン
ジョーン・バエズ
アレン・ギンズバーグ
アル・クーパー
デイブ・ヴァン・ロンク
ロビー・ロバートソン
メイヴィス・ステイプルズ
監督、プロデューサー:
  マーティン・スコセッシ
編集:デビッド・デデスキ

2005年/アメリカ/カラー/
デジタル・ハイビジョン/2時間30分


イントロダクション
「アメリカ。20世紀を代表するミュージシャン ボブ・ディラン、彼の最盛期ともいうべき1966年までを本人の声、貴重な証言、アーカイブ映像で捉えたマーティン・スコセッシ監督による傑作ドキュメント」
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(C) Barry Feinstein

 ボブ・ディランという名前に大きな反応を示す人はどういった方々なのだろうか。僕自身は年齢は40代後半以上、性別は男性、今でもロックや文学などサブカルチャーに興味のある方を想像する。それはボブ・ディランがその年齢位までの人にとって、ひとつの社会的な現象であっただろうからだ。なぜ、ボブ・ディランがそのように捉えられるようになったのか、そうした部分も描いたドキュメンタリー作品が劇場公開される。それが今回紹介する『ボブ・ディラン:ノー・ディレクション・ホーム』である。
 今年(2005)で64歳になったボブ・ディランは今でもライブにレコーディングにと精力的に活動を続けているミュージシャンである。特にその詩は圧倒的な評価を受け続け、ノーベル賞(文学賞)を受賞する最初のロックミュージシャンになるだろうといわれている。ディランが最初に大きな評価を受けたのは60年代に発表した「風に吹かれて」、「時代は変る」などのメッセージ性の強いフォークソングによってであった。社会に対する抗議であるプロテスト・ソングの代表となったこれらの歌は世界中の人々により歌われ、時代を代表する歌になりディランも時代の寵児となっていく。人々の期待の星だったそんなボブ・ディランがバンドを従えたロックのスタイルで歌うというのはあまりにも衝撃的なことだった。彼は「魂を売った」、「堕落した」などと揶揄される。ロックの歴史に詳しい方ならこの辺りのことは頭にこびりついているだろう。この作品『ボブ・ディラン:ノー・ディレクション・ホーム』が描くのはちょうどこの時代までである。この大きな転換の時期にボブ・ディランはロック史上に輝く『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』、『追憶のハイウェイ61』、『ブロンド・オン・ブロンド』という名盤3枚を連続して発表している。
  この作品『ボブ・ディラン:ノー・ディレクション・ホーム』はサウンドトラックとして先行発売されているCD「ノー・ディレクション・ホーム:ザ・サウンドトラック(ザ・ブートレッグ・シリーズ第7集)」の待望の映像版である。作品は今ではインタビューに答えること事態が大きなニュースとして報道されるボブ・ディランが自身の生い立ちから1966年頃までを現在の自らの声で語る映像を軸に、ジョーン・バエズ、アレン・ギンズバーグ、アル・クーパー、アルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」のジャケットにも登場しているかっての恋人スーズ・ロトロなど様々な関係者の証言、当時の貴重なライブなどのアーカイブ映像をふんだんに取り込みながら、あの時代のディランを描き、検証していく3時間30分にもわたる壮大なドキュメンタリー作品である。監督はマーティン・スコセッシ。
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(C) Barry Feinstein
  オープニングのシーンでディランは「大した野心を持っていたわけではないが、自分の家をみつけたかったんだ」と語る。その後に数年前に音源として正式発売された1966年のロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の映像が流れる(このライブはバンドを従えたディランに対して壮絶な野次があがったライブとして知られている)。この「ライク・ア・ローリング・ストーン」という曲の歌詞にはこの作品のタイトルである「ノー・ディレクション・ホーム」という1節が含まれている。それは冒頭のディランの発言と呼応している。そして、この「家」、「居場所」というのがこの作品の大きなテーマとなっていく。
  ファンにとっては本当に貴重な映像、証言が飛び出してくる。一時期は公私のパートナーでもあったジョーン・バエズは彼が積極的に社会の問題と関わることを期待し、それが原因で袂を分かつ。彼女は「社会的な弱者の気持ちが分からなければ、ああいう歌は書けなかったはず。でも、彼は中心に出るのを嫌がった。」と語る。バンドを従えたことによりブーイングを浴びた1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでは楽屋裏のミュージシャンも彼の変化に大きく揺れたこと、その結果にディランもやり切れぬ気持ちを抱えていたことがマリア・マルダー、ピート・シガー、ピーター・ヤローらの口から語られる。エレクトリック・バンドではブーイングの嵐でも、なぜか大ヒット曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」は皆楽しそうに歌っていたことをアル・クーパーが語る。ディラン自身は10歳の時に引っ越した家にギターとラジオに78回転プレイヤーがついた家電があったこと、色々な曲がかかる深夜ラジオを楽しみにしていた日々、ウエスト・ポイントに入り、英雄になりたかったこと、グリニッジヴィレッジの日々、時代の寵児に祭り上げられたことなどを淡々と愉快に語っていく。彼には溢れるばかりの才能、振る舞いがあり(何しろタイプを打てばすぐに詩がいくつも生まれていたのだ)、それが社会に向き合うという時代の風潮に合致した。でも、それは本人の居場所とはまったく別の方向に走り始める。
  作品の後半(2部構成の2部)ではこのパブリック・イメージとボブ・ディランという人物の大きなズレが当時のヨーロッパ・ツアーの記者会見のアーカイブ映像(「あのジャケットの写真のTシャツの意味は」)、ファンの発言(「ポップスではなく、フォークを聞きに来たんだ」)などで描かれていく。ライブではファンからブーイングを浴び、楽屋では文句を言いまくる神経衰弱気味のディランの姿もそこには映し出される。結局、この騒動はディランのバイク事故による隠遁という形で急に幕が閉じられる。その隠遁期間に彼のバックバンドだったホークスはザ・バンドと名前を変え「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」という名盤をディランの協力の下に生み出し、アメリカを代表するロック・バンドとなる(この期間のディランとバンドのセッションは「ベースメント・テープス」として随分と経ってから発売される)。そして、デイランが作り上げたフォークからロックへの移行は先駆者として大きく評価される。それから8年後のディラン復活ともいえる全米ツアーはザ・バンドをバックに従えたものだった(これは「ビフォー・ザ・フラッド」というアルバムになっている)。
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(C) Barry Feinstein

た(それは昔の形式を作り直すというフォークの流儀だと語っている)。そうしたフラストレーションが爆発して出来上がったのが「ライク・ア・ローリング・ストーン」だった(この曲は当初は歌詞が50番まであったという)。この曲は大ヒットする。しかし、ディランの一方的なイメージは払い打ちされず、映画のラストに近いシーンで1966年のディランは「家に帰りたいけど、家はどこだろう」と呟く。「ライク・ア・ローリング・ストーン」は彼の居場所になり、そのように近年のディランはエンドレスのツアーを行っている。そして、現在のデイランは「俺の最高の曲はライブにしかない」と語る。そのライブは原曲が分からないくらいに編曲されていっている。
  マーティン・スコセッシは400時間を超える莫大なアーカイブ映像を3時間半という長さを感じさせない内容に見事に纏め上げている。ザ・バンドの最後のコンサートの映画化作品『ラスト・ワルツ』、そして自らが製作総指揮した“THE BLUES Movie Project”といい、この人の音楽への想いは並々ではない。しかもどれもがいい作品だ。次は何を手掛けるのか。そのひとつとして、この後のディランを期待したいのだが。全てのロック・ファンは必見、そしてアメリカに興味のある方も観るべき1本です。ぜひ、劇場に脚を運んでください(幻のディラン監督作品『レナルド&クララ』もどこかやってくれないだろうか)。

ストーリー
「時代に期待されながらも自らの道を進んだボブ・ディランの1966年まで」
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(C) Barry Feinstein
 「ライク・ア・ローリング・ストーン」を演奏するボブ・ディランとバンド。この映像はボブ・ディランがエレキを手にしたことにブーイングが渦巻いた1966年のロイヤル・アルバート・ホールでのライブ。それ以前のボブ・ディランは「風に吹かれて」などプロテスト・ソングを歌うフォーク・シンガーとして圧倒的な支持を受けていた。しかし、エレキを手にしたことでファンの評価は割れていく。作品はボブ・ディラン本人や関係者の証言、当時の貴重な映像もふんだんに盛り込み、彼の生誕からボブ・ディランの結果的に大きな転換期となる1966年までを綴っていく。
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