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『カーテンコール』

配給:コムストック
オフィシャルサイト:
http://www.curtaincall-movie.jp/
この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
伊藤歩
藤井隆
鶴田真由
奥貫薫
津田寛治
橋龍吾
井上堯之
藤村志保
夏八木勲
監督、脚本:佐々部清
プロデューサー:臼井正明
原案:秋田光彦
撮影:坂江正明
編集:青山昌文
美術:若松孝市

2004/日本/カラー/
ヴィスタサイズ1:1.85/
ドルビーSRD/1時間51分


イントロダクション
「映画が庶民の娯楽だった時代、その昭和のいち時代へのオマージュでもある、あの時代を体感した人々のための人間ドラマ」
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(C)「カーテンコール」製作委員会
 アメリカは映画の国である。映画が娯楽としてきちんと機能している(もちろん、映画はアメリカにとって大きな輸出産業でもある)。その理由には価格の安さ(1本当たり7ドル位ではないだろうか)がある。ただし、これは対日本で考えた場合の安さであって、この安さを維持しているのはそこに宿る歴史である。アメリカは多くの移民を受け入れることで成り立っている国である。そして大抵の移民は低所得で、言葉も不自由である。そんな彼らにとって、映画は最も手近で安上がりな娯楽だったという話をなにかの本で読んだことがある。今では娯楽の数は増え続けているけれども、そうした歴史が綿々と受け継がれているのがアメリカという国でもあるのだ。だから、どんな小さな町でもその周辺には映画館がある(『チャレンジ・キッズ』という英語のスペル暗記コンテストの様子を捉えた面白いドキュメンタリー作品の中で、石油産業も寂れたテキサスの片田舎の町に暮らす少女が自分の町を寂れた映画館しかないと解説していた記憶がある。ま、それ位、映画館があるということだ)。日本で映画館の数が最も多かったのは昭和30年代から昭和40年代の初め(その後、映画館の数は減少を続け、最近ではシネコンという形で持ち直しつつある)。映画が真の庶民の娯楽として機能していた時代はこの頃なのだろう。そんな時代の映画館の雰囲気を伝える作品が、今回紹介する『カーテンコール』である。      
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(C)「カーテンコール」製作委員会

 張り込みに張り込みを重ね、ある人気女優のスキャンダルを撮影した女性記者。その手柄は一瞬にして消えてしまう。この写真を気に病んだ女優が自殺未遂を起こしてしまうのだ。職場での立場もなくなった彼女は信頼する上司の勧めもあり、福岡のタウン誌の編集部へと異動する。そこで彼女は読者から送られてきた手紙をもとに懐かしい風景、ものなどを取材し、記事としてまとめるというコーナーを担当することになる。多くの投書の中、彼女が惹きつけられたのは「昭和30年代の終わりから40年代の中ごろまで下関の映画館で幕間に流行歌を歌ったり、物真似をしたりなどの芸を披露していた芸人を探して欲しい」というもの。取材から原稿まで5日という期日をもらい、彼女はその芸人が出演していた下関の映画館へと脚を運ぶ。そこで彼女はその劇場でずっと働き続けているモギリの女性からのその芸人の裏に隠された話を聞き、今の彼に会いたいという想いを強くしていく。
  出演は伊藤歩、藤井隆、鶴田真由、奥貫薫、藤村志保、夏八木勲など。監督は『半落ち』で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した佐々部清。
  映画館が映画だけではなくニュース映像などの提供の場として機能していたことは何となくとも知っている。TVがあまり普及していない時代は庶民の娯楽として君臨していたことも、そのTVの普及により娯楽の座を失った上に大きく衰退していったことも知っている。でも、幕間芸人がいたということは全く知らなかった。プレス資料によると、幕間芸人とは映画だけでなく、芝居や芸能の世界で、演目の合間に舞台に登場し、歌や手品、形態模写などを披露し、観客を楽しませる芸人を指すのだと書かれている。例えば、ストリップの幕間に登場する芸人、僕がたまたま見た能舞台の間に登場した曲芸師もそういう存在になるのだろうし、アメリカ映画の中ではスタンダップ・コメディの芸人なんかもそういった存在として描かれている。作品がこの幕間芸人の姿を通して描くのは映画が娯楽として機能していた昭和のいち時代の姿であり、慎ましく暮らし続ける家族、人間たちの姿である。映画の中に登場する昭和の人物たちは先のことをあまり考えずに、日々を精一杯暮らしていく。これはいいのか悪いのかは別にして、先のことばかり考えている現代とは全く正反対の生き方でもある。そういう生き方を出来る時代があった、忙しさに終わることなく、物事を楽しめる時代があった、これはそういった失われた昭和という時代の瞬間へのオマージュともなっている。そんな中、現代まで綿々と受け継がれている差別も描かれている。楽しい、懐かしいだけでなく、この作品にはそうした負の遺産も存在しているのだ。
  そして作品では想いとは裏腹に壊れてしまった幕間芸人の家族、どこにいるかも分からない父に今でも恨みと相反するような気持ちを抱える娘、そして下関が実家でありながらも親との関係がうまく行っていない主人公の女性記者という、いつの時代にも存在するそれぞれの家族、父娘の関係も描かれていく。
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(C)「カーテンコール」製作委員会
  下関出身である佐々部監督は「僕が子供の頃に通って観ていた日本映画へのオマージュと、父娘の愛憎を織り交ぜた人間ドラマを、大好きな映画と歌謡曲を使って、いっぱい人の匂いがする映画を撮りました」と語っている。作品中には寅さん、裕次郎、アキラ、吉永小百合といったスターが出演している全盛期の日本映画のプログラム・ピクチャー、主人公の幕間芸人によって歌われる懐かしい昭和の歌が流れる。この幕間芸人が出演していた映画館も押し寄せる時代の波には勝てずに閉館が決定している。消えてしまった幕間芸人と閉館。これが結びつけるものは自ずと想像が付くだろう。昭和の幕間芸人を演じる藤井隆も素晴らしいが、そこから現代の老いた幕間芸人を演じる井上堯之の味わいが沁みてくる(劇中には彼がメンバーだったスパイダースの作品も流れる)。昭和のあの時代を体感している世代なら様々な部分で共感し、胸を振るわせる作品だろう。ぜひ、劇場に脚を運んで下さい。

ストーリー
「読者からの一通の手紙、それがひとつのドラマの始まりだった」
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(C)「カーテンコール」製作委員会
 出版社で記者として働く橋本香織は長い張り込みの末に人気清純派女優のスキャンダルをスクープする。一躍社内の注目の的となった彼女だが、今度は別の運命が彼女にやってくる。その女優が自殺未遂をしたのだった。職場での自分の場所を失った彼女は、信頼する上司の勧めもあり、実家のある下関に近い福岡のタウン誌で働くことになる。
 タウン誌で彼女が担当したのは読者からの投稿を元に取材し、記事を書き上げていく〈懐かしのマイ・ブーム〉というコーナーだった。多くのハガキの中から彼女が惹き付けられたのは「昭和30年代の終わりから40年代の中ごろ、下関の映画館にいた幕間芸人を探して欲しい。人情溢れるその舞台には心が和み、世知辛い世の中にもう一度あの時間を過ごせたら」というものだった。編集長の5日で記事をあげることとの約束の下、彼女は下関へと取材に向かう。
  その「みなと劇場」という映画館は今も存在し、その幕間芸人を知るもぎりの女性 宮部絹代といい、この幕間芸人であろう安川修平について知る限りのことを語ってくれた。香織は安川修平を探したいという想いを強く抱き始める。その夜、香織はずっと連絡を取っていなかった父へ泊めて欲しいと連絡を入れる。
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