「あの当時のニューヨークの息吹、ライブの熱気がパックされたNYパンクのオリジネーター リチャード・ヘルの主演映画」
パンク(PUNK)といえばロンドンというイメージが強いが、元祖であるニューヨークを忘れたらいかんという印象を多くのファンに印象付けたのが、ラモーンズのドキュメンタリー作品『END
OF THE CENTURY』だった。リアルタイムのラモーンズを知る世代以上に若い世代に受けいられ、大ヒットしたこの作品を契機にニューヨーク・パンクの世界に入り込んだ人も多いのではないだろうか(その影響をもろに受けたフリクションの貴重な音源なんかも再発されましたね)。今回紹介するのは、正にそういったファンのための作品『ブランク・ジェネレーション』である。
『ブランク・ジェネレーション』というタイトルだけで、ガツン!と来たファンもいるのではないかと思う。この作品はニューヨーク・パンクが生み出した代表的なミュージシャンであり、詩人のリチャード・ヘルを主人公としたものであり、タイトルは彼自身のリーダー・バンド
リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズのデビュー・アルバム(曲)から取られている(一時期入手困難でコレクター・アイテム化していたこのアルバムはニューヨーク・パンクの代表的な1枚である)。現在はミュージシャンとしてではなく、作家としての活動に力を入れるリチャード・ヘルだが、この作品はそんな彼のミュージシャンとしてのノリに乗った時期、1979年の作品である。
レコーディング・ブースで歌入れをするリチャード・ヘルの姿。その傍らではフランスから取材のためにやって来たという女性ジャーナリストがカメラを回している。この作品が描くのはこのふたりの恋愛物語だ。その内容は、あの当時(特に1980年代)のアメリカン・インディペンデント作品の持つ空気はあるが、正直、「凡庸」という一言で片付いてしまうものだ。リチャード・ヘルのライブを望めば味わえるあの当時のNYにいたなら、それでよかっただろう。でも、この作品が撮られた時代から30年近くの時を経た今ではその評価は変わってしまう。物語に面白みはないが、ニューヨーク、ダウンタウンの街並み、CBGBというロックファンにとっては聖地のようなライブハウスでのリチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズの熱気溢れるライブ・シーン(後にルー・リードのバンドで活躍し、昨年、悲劇的な死を遂げたたロバート・クワインも拝める)、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンに影響を与えた(真似されたか)リチャード・ヘルの今でもクールなスタイルなどがこの作品には押し込められている。しかも当時のNYの顔役ともいうべきアンディ・ウォーホルまで本人役で強烈な出演の仕方をしているのだ。それは映画として面白みではなく、記録としての面白みになるのかもしれないが、その記録的な面白み、素晴らしさが今だからこそ作品の面白みとなっている。そうした部分だけで語り継がれていくだろう作品なのだ(それは監督の意図と違うだろうが、パンク映画の古典という呼ばれ方はされていくはずだ)。
出演はリチャード・ヘル、彼のバンドであるザ・ヴォイドイズ、アンディ・ウォーホル、『007/ユア・アイズ・オンリー』でボンド・ガールに抜擢されたキャロル・ブーケなど。
タイトルの『ブランク・ジェネレーション』とは“空白の世代”という意味。リチャード・ヘルの同タイトル曲のさびにあたる部分で“おれは空白の世代に属している”と歌われるのだが、その言葉の意味するところを問われたリチャード・ヘルは“曖昧さかな”と答えたという。歌詞自体もその後、“それを取るのか取らないのかは自分次第さ”という曖昧な態度が確かに貫かれている。「凡庸」な恋愛映画である物語りも確かにリチャード・ヘル自身の“ああでもない、こうでもない”という態度が貫かれている。となると、そのサビの態度を万人に受ける恋愛、青春映画にしたのがこの作品なのかと思ったりもするのだが(共同脚本としてリチャード・ヘル自身も参加している)。
ニューヨーク・パンクはもちろん、70年代後半のあの当時のニューヨークに興味があるなら観ておくべき作品。CBGBの周りなんて全く別物。この後、更なる不況にNYは落ちていき、そして今みたいなきらびやかさに包まれ始める。そのきらびやかさが原因でCBGBは立ち退きを余儀なくされているという。この作品はそのCBGB救済のためのサポート映画にもなっている。ぜひ、劇場に足を運んでください。
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