「目に見えたもの、よぎる感覚、脈打ち息づく場所で。」
アーティストたちが廃屋になった他人のビルに勝手に住み着き、そこを自分たちのアトリエにしたり、建物の中にクラブやギャラリーを作ったり、ライブを聞いたりしている。そんな場所をスクウォッティング・ハウスという。”オブスキュア”というギャラリー。彼らは、たまたま東大駒場寮を見つけ、住みつき、その古い建物の空気を、鼓動を感じ生まれて初めて自分たちの足で立とうとしていた。彼らはどんなことを目にしたのだろう。
これは、単なるドキュメンタリーではない。視線の記憶はこの『W/O』という作品の中で、断片化、カットアップされ、時間軸から解き放たれ、カオスのように渦巻いている。デジタルビデオで撮影され、ブラウン管を再撮した上で、コンピューター上でコラージュされた映像の色はにじみ、荒々しい粒子で構成されている。長い寮の廊下、交わされた会話、相手の顔、崩れ落ちる寮。学生たちの抵抗と,号泣。死にゆく祖母、犬の死体。舞い落ちる花は、前後の脈絡もなく何度も現われては消える。音楽には『五条霊戦記』の藤之家舞ら。言葉はいらない。口から吐き出される前の記憶とは、もしかしたらこのようなものかもしれない。
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