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『ザ・コケッツ』

配給:
オフィシャルサイト:
http://www.nowonmedia.com/THECOCKETTES/


キャスト スタッフ データ
ザ・コケッツ
ジョン・ウォーターズ
ディヴァイン             
監督、プロデューサー:
 デビッド・ワイスマン
監督:ビル・ウェバー
※USコメディー・アート・フェスティヴァル2002 最優秀監督賞 受賞
※ロサンゼル映画批評家協会賞 最優秀ドキュメンタリー賞 受賞

2002/アメリカ/1時間40分

イントロダクション
「1960年代後半から70年代にかけての短い活動期間ながら、圧倒的な支持と後々への影響を与えたサンフランシスコの演劇集団ザ・コケッツのドキュメンタリー作品」
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photo by Mary Ellen Mark
 “カウンター・カルチャー”という言葉はいつの時代にあろうが有効な言葉であると思うのだが、僕がこの言葉から真っ先に思い出すのは1960年代後半のアメリカにおける若者文化である。ロック、ヒッピー、ドラッグ、サイケデリック、フラワーなど自分を装うことから精神的な部分まで、現在に連なる“サブ・カルチャー”の源泉もこの時代が生み出したものである。そんな時代を知らないからこそ、その時代に憧れるし、知りたいと思う。そんな向きに格好、最適のドキュメンタリー作品が公開される。それが今回紹介する作品『ザ・コケッツ』である。
 ザ・コケッツ(THE COCKETTES)という名前に「おー!」っと反応できる方がどれほどいるかは分からないが、確実なのはそれが圧倒的に少数だということだろう。ザ・コケッツは1960年代後半に自然発生的に結成され、圧倒的な反響を巻き起こしながらも僅か数年であっという間に消滅してしまった演劇集団である。このザ・コケッツを語るときに大きなキーワードとなるのが、“サンフラン
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photo by David Wise
シスコ”、“ドラッグ”、“ゲイ(同性愛者)”である。当時、サイケデリック・ムーブメント真っ盛りだったサンフランシスコ、その中でも中心となるヘイトアシュベリーにはアメリカはもちろん世界中から多くの若者が、その自由な空気に憧れて、流れ込み、様々な集団、コミューンを結成し、暮らしていた。そういった中で支持されたのが、グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインの音楽、“アシッド・テスト”などとも呼称され新しい精神を切り開くとされたLSDなどのドラッグだった。そして、この自由な空気は当時、大きな差別を受けていたゲイも引き寄せることになる(それ以前にも多くの同性愛者を受け入れてきた街ではある)。こうした流れの中で、舞踏会に参加する貴族のようなド派手な衣装にビーズやラメも使用したド派手なメイクで女装した人物たち、今でいうドラァグクイーンが現れる。その中でも最も人目を引くハイビスカスという人物を中心に自然発生的に結成された集団がザ・コケッツである。最初は彼らが溜まり場にしていた映画館で上映されるオールドタイムな作品の幕間のパフォーマンスとして、台本らしい台本も練習もなしに行われていたものが瞬く間にサンフランシスコの尖がった連中の間で評判を呼び、時代の寵児となっていく。パフォーマンス集団からきちんとした演劇集団となっていった彼らの評判は西のサンフランシスコから東のニューヨークにも届き、ニューヨークでの一大公演が開催されることになる。評判が評判を呼び、多くの著名人も駆けつけた公演のチケットはソールド・アウトだったが、期待の初日の反応は芳しいものではなかった。初日の反応と批評が全てを決めてしまうという過酷な現実は、後々の盛り返しで補えるものではなかった。サンフランシスコに戻った彼らは幾つかの華々しいショーを行い、1972年に解散する。1969年の結成から期間としては僅かだが、怒涛の3年間であった。
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 この作品『ザ・コケッツ』はそんな彼らの怒涛のヒストリーを当時の貴重な映像を交えながら、メンバーや関係者の証言で綴っていく。まだ最初のパフォーマンスような舞台、完成された舞台、ニクソン大統領の娘の結婚式を笑い倒すかのような映画など当時の彼らの作品のアマチュア精神に溢れた面白さには脱帽である(初期のワハハ本舗を連想してしまった)。そして、そんな自由な時代をすごしてきたメンバーたちの証言も面白い。もう、この世界からリタイヤしたものもいれば、今でも頑張っているものもいるが、多くの者はこの世にいない。自由に満ちた空気、ドラッグとゲイ文化を謳歌した彼らが出会った現実は、オーバー・ドースによる薬物死やHMVによる感染死であった。ここの部分にはどうしても悲哀を感じざる得ない。1969年から1972年にかけてザ・コケッツが生み出したものは、ロッキー・ホラー・ショウ』やデヴィッド・ボウイ、ニューヨーク・ドールズなどのグラム・ロック系のミュージシャンにも影響を与えたという。しかし、そういった影響とは別に彼らがぶつかったものは回避することが出来ない重すぎる現実だった。そういった重さや自由な空気、当時のアメリカの西と東の差を体感できる点など、この作品は非常に面白いドキュメンタリー作品となっている。1960年代、70年代、“カウンター・カルチャー”や“ゲイ”に興味があるなら、間違いなく必見の作品です。ぜひ、劇場に足を運び、自由な空気を味わってください。   

ストーリー
「当時の貴重な映像と証言で綴る演劇集団ザ・コケッツの物語」
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photo by Ingeborg Gerdes
  1969年に自然発生的に結成された演劇集団 ザ・コケッツ。最初は彼らのお気に入りのちょっと変わった映画をやる映画館の幕間の出し物として、フリー・パス、フリー・ドリンク、フリー・フードと引き換えに始まったパフォーマンスは次第に評判を呼び、コケッツとして単体のショーを行うようになっていく。開催するたびにソールドアウトを続出する彼らのショーは、あのアレン・ギンズバーグも出演するなど大きな話題となり、大金を積んでのニューヨークでのデビューも決定するのだが・・・・。作品は当時のメンバーや彼らのファンであった映画監督ジョン・ウォーターズの証言、貴重な映像などでザ・コケッツのヒストリーと実像を描いていく。
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