「モンゴルの雄大な草原をバックに描く郷愁を感じさせる少年の成長と家族の愛情の物語」
モンゴルといえば、どんなイメージが浮かぶだろうか。相撲、草原、チンギスハーン、遊牧民族・・・・、うーん、大体こんな感じではないだろうか。では、そのモンゴルが外モンゴルと内モンゴルとに大きく区分され、北側にあたる外モングルがモンゴル共和国であり、南側にあたる内モンゴルが中国の属することを知っている人はどれくらいいるだろうか。この内モンゴルは内モンゴル自治区といわれ、中国で最初に成立した少数民族の自治区である。今回紹介する『天上草原』はその内モンゴルを舞台としたモンゴル族による作品である。
物語は、父親は刑務所に入り、母親には捨てられてしまった少年が、父親の刑務所仲間だった男共に内モンゴルの広大な草原へとやって来ることから始まる。そこには男の別れた妻と弟が暮らしていた。少年は心に負った傷から固く心を閉ざし、失語症となっていたが、彼らとの暮らしの中で徐々に心を開き、たくましく成長していくというものである。映画はすでに青年として成長しているであろう少年があの頃を回想していく形で進んでいく(この回想というのは中国映画によくあるパターンだ)。
監督は塞夫(サイフ)と麦麗絲(マイリース)という共に内モンゴル出身のおしどり夫婦監督。1987年の作品『危険的蜜月旅行(危険なハネムーン)』でコンビを組んでから、モンゴルの歴史を舞台にした多くの作品を送り出し、賞賛を浴び続けている監督である。日本ではチンギス・ハーンの生涯を描いた代表作『蒼き狼
チンギス・ハーン』(1997)がソフト化されており、観ることが出来る。この『天上草原』は2002年第8回中国電影華表彰において優秀作品賞、優秀監督賞、優秀映画技術賞、優秀映画歌謡曲賞、2002年第22回中国電影金鶏賞において最優秀主演男優賞、最優秀音楽賞、2002年第6回長春映画祭において最優秀中国語作品賞、最優秀音楽賞を受賞するなど、大きな評価を受けてきた作品である。
実はモンゴル族の手により描かれたモンゴル族の映画は決して多くないのだという。考えてみれば、思い出すモンゴルの映画といえば、『らくだの涙』と椎名誠が撮った作品くらいだ。内モンゴルに限れば、元々映画の製作本数自体が少なかったのだが、そうした状況は徐々に改善され、より自由に撮れるようになったことから製作本数も増えてきているという。こうした状況を考えると、この作品『天上草原』の公開をきっかけにモンゴルの映画に触れることの出来る機会が増えてくるかもしれない。
作品は少年の成長の物語としても「じわり」とくるものがあるが、それと共にこちらを虜にするのはモンゴルの雄大な自然、生活風習だろう。オープニングに映し出される360度のパノラマで拡がる雄大な草原、ちょっと悪魔祓いめいたシーン、集団で旅行をする新婚さんたちを迎え入れるシーンとそれによる恩恵、迫力ある騎馬のシーン、食べ物など様々な生活風習が本当に興味深く、自然の美しさ、壮大さには圧倒される。そして、彼らの生活風習は自分たちが暮らす土地、自然環境への敬愛の念を背景にしたものであることも伝わってくる。その敬愛を最も体現しているのが、男の元妻であり、少年の母親代わりである主人公の女性だろう。正にマザー・ネイチャーというべき存在である。実は少年の成長の物語であるこの作品は、この敬愛すべき過酷な自然の下で暮らす元妻、粗暴な元夫、優しい弟、そこに加わった少年という新たな家族の関係の物語でもあるのだ。『らくだの涙』というドキュメンタリー作品でもなんとなく描かれていたが、この作品『天上草原』でも遊牧民として暮らすことの厳しさ、時代というものに追われる現実が描かれている。例えば、様々な葛藤の末に弟は遊牧生活を捨てる決意をする。でも、女性はここで自分たちの風習を取り組みながら暮らし続ける。それはモンゴルでも消えつつある世界なのだ。だから、彼女の姿や少年の成長、自然はある種の郷愁や癒しすら感じさせるし、そういった部分をきちんと捉えておこうという監督の意図も十二分に伝わってくる。映画の語り手であるかっての少年はモンゴルでのそういった生活に失ってしまった想いを馳せている。そこは青年にとって、正にモンゴル語のオリジナルタイトルが意味する“天国の草原”であったのだ。そこに暮らしたことはないが、観る側の想いもきっとそこへと飛んでいくはずだ。ぜひ、劇場でその美しい光景と物語を味わってください。
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