「主人公は映画監督、舞台は映画撮影現場、相変わらず面白く、楽しいウディ・アレン、久々の日本での公開作品」
1年間にほぼ1作ずつ、定期便のように映画を届けてくれる監督がいる。せいぜい、月に1本くらいしか映画館で映画を観ることがなくても、長年、映画館に足を運んでいるとそういった監督の作品はひとつの楽しみになってくる。ウディ・アレンもそんな監督のひとりだ。今回紹介する作品はウディ・アレンの待望の新作『さよなら、さよならハリウッド』である。
1年間にほぼ1作ずつ、定期便のように映画を届けてくれる監督ウディ・アレン。でも、実はこの新作は前作『スコルピオンの恋まじない』(2002年公開)から3年ぶりの劇場公開作なのである。この『さよなら、さよならハリウッド』自体は2002年に製作された作品で同年に欧米では公開されている。日本での公開がここまで遅れてしまったのは上映の権利を巡る問題(金額とかね)だと思うのだが、それでもこの期間は長かったとウディ・アレンの作品を楽しみにしている多くのファンは思っているのではないだろうか(かく言う私もそのひとりです。で、朗報というわけでもないが、2004年の作品『メリンダとリンダ』が夏に公開される。では、2003年の作品『Anything
Else』はどうなるのだろうか)。
さて、日本でやっと公開されることになったこの作品、物語は相変わらずのウディ・アレンらしい饒舌で、皮肉がいっぱいで、テンポのいいオールド・タイムなコメディーとなっている。主人公は昔は名声を欲しいままにしたが、今じゃ売れない映画監督となっている人物。吹雪の中でCM撮影をしていても一緒に暮らす女優志望の若い女の子に「帰りたい。こんなところで才能を浪費したくない」と電話するような人物だ。ある日、彼に信じられない大作のオファーが舞い込む。それは彼の元妻の敏腕プロデューサーからのオファーだった。その製作会社は元妻の旦那が重役を務める会社。今でも元妻に未練たらたらの映画監督はそんなオファーはいらぬと思うが、周囲の努力もあり何とか契約にこぎつける。そして撮影開始。その時、思わぬ異変が映画監督には起こっていた。果たして、映画は無事に完成するのかという状況をこの作品はドタバタと描いていく。舞台はもちろん、NYなんだけど、ほとんどのシーンが映画を撮影しているスタジオの中。現代のNYを舞台にしながら、これほど外の風景がでてこないウディ・アレンの作品も珍しいのではないだろうか(撮影と9.11の同時多発テロの影響が重なったことは推測できるが)。
出演は主演のウディ・アレンに加え、『ニューヨーク 最後の日々』のティア・レオーニ、『プリンス・オブ・シティ』のトリート・ウィリアムズ、映画監督として『黄昏』、『華麗なる週末』などの名作を手掛け、俳優としても活躍するマーク・ライデルなど。
70年代や80年代のあの作品はもう撮れないだろうということが分かっているから、そういった期待はすでにしていないのだが、当たり前のように面白い作品を送り出してくれるウディ・アレン。今回は映画制作の現場が舞台。プロデューサーとのやり取り、昔ながらのスタジオ撮影の現場にウディ・アレンの映画制作に対する皮肉と限りない愛情を感じながら、その飛び道具のような設定が巻き起こす展開にやはり大笑いしてしまう。作品を観るたびにお爺ちゃんになっていくウディ・アレンにはちょっと悲しい部分も感じるが(でも、相変わらずお洒落でうらやましい)、作品は\1,800払っても十分に楽しめ、満足できるものになっているのはさすがです。アメリカ国内以上にヨーロッパでの人気、評価が高く、この作品で初めてカンヌ国際映画祭を訪れたウディ・アレンはその舞台挨拶で「フランスは私の初めての支持者であり、これまで寛大な気持ちを示していただきました。この数年間にわたり何度も、ご招待を受けており、そろそろ私も何かをお返ししなければいけないと思うようになったのです。」と参加の理由について語ったという(その映像はチラッと見た記憶がある)。ウディ・アレンもお爺ちゃんだし、優しくなったなと思ったりもしたのだが、参加したのがこの『さよなら、さよならハリウッド』だったとは全く自分自身で最高の舞台を用意したものだねと脱帽するしかなかった。もちろん、フランス人たちは限りなく寛大だったことは間違いないだろうが、さすがウディ・アレンだな(その理由は映画を観れば分かる)。日本では久々のウディ・アレンの作品、ぜひ、劇場に足を運んでください。
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