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『サマリア』

配給:東芝エンタテインメント
オフィシャルサイト:http://www.samaria.jp/

この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
イ・オル
クァク・チミン
ソ・ミンジョン
クォン・ヒョンミン
オ・ヨン
イム・ギュノ
チョン・ユンソ
イ・ジョンギル
監督、脚本、編集、美術監督:
  キム・ギドク
プロデューサー:ベ・ジョンミン
撮影:ソン・サンジェ
音楽:パク・ジウン
*第54回ベルリン国際映画祭
  銀熊賞(監督賞)受賞

2004/韓国/カラー/ヴィスタサイズ
/SRD/1時間35分

イントロダクション
「援助交際を軸に少女たちの揺れる心、家族との関係、罪の意識を描いたキム・ギドク監督によるベルリン国際映画祭監督賞受賞作」
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  “韓流”というブームの下に続々と公開されていく韓国映画。面白い作品、勢いを感じる作品もあるが、正直、どうでもいいやと思ってしまう作品も多い(これは趣味の問題もあるだろうが)。そういった中で、これは見逃せないという作品を送り出している監督がキム・ギドクである。今回紹介するのは、そんなキム・ギドク監督がベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞した作品『サマリア』である。
    韓国映画界のアウトロー的存在、奇才として紹介されることの多いキム・ギドク監督だが、彼がそう紹介される理由は映画というものに関わることのない(観ることすらなかったという)人生を過ごし、パリの路上で絵を売っていたときに初めて映画に出会い、いきなり映画制作の道に進んだこと、あまりにも壮絶な暴力描写などショッキングな映像によるところが大きいと思われる。要するに映画なんて全く知りもしなかった奴が従来の映画にはないショッキングな映像を持って登場してきたということなのだが、そういった部分に惑わされてはいけない。キム・ギドクの作品はただショッキングなだけではなく、そこには自分の人生に裏打ちされた人間の内面を抉り出すような部分が描かれているし、作品ごとに大きく変化、成長しているのだ(例えば、『悪い男』という作品を観た方なら、その後に公開された『春夏秋冬そして春』という作品との大きな隔たりを感じたはずである)。今回紹介する『サマリア』もキム・ギドク監督の変化を感じさせるものとなっている。
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  母親を亡くし、刑事の父親と二人暮しの女子高生ヨンジは親友のチェヨンと援助交際をしてる。そのお金を貯め、ふたりはヨーロッパに行こうと思っているのだ。無邪気で愉快で平静な日々。しかし、ある出来事がきっかけでそういった日々は大きく転換してしまうということから始まるこの作品をキム・ギドク監督は3つのパートに分けて綴っていく。この作品を撮ろうと思ったきっかけについて、キム・ギドク監督は「日本では援助交際という行為は、マスコミにとりあげられ、社会的によく知られています。これは韓国にもある問題なのですが、あまり報道はされません。それを一度、映画で取り上げ、韓国の人に知ってもらおうと思っていました。ただ、映画にするにあたっては、援助交際をする少女たちを加害者、買う男たちを被害者という決め付けはしたくありませんでした。」と語っている。また、物語を3つのパートに分けたことについては「観点を変えるとひとつの物事がどう見えてくるか、人は立場が違うとどのくらい見方に差があるかを表すためです。」と説明している。3つに分けられたパートのタイトルは、インドの説話集の中に出てくる交わった相手を仏教徒にする娼婦の「バスミルダ」、新約聖書に登場してくる差別の対象となる民であるサマリア人の「サマリア」、韓国の一般的な乗用車の名前の「ソナタ」から取られ、それぞれ仏教的なニュアンス、キリスト教的なニュアンス、社会常識を持った韓国の成人を表しているという。
  作品ごとに素晴らしい俳優を見つけ出すことでも注目を浴びるキム・ギドク監督だが、今回の作品で最も注目される俳優はふたりの女子高生、ヨジン役のクァク・チミンとチェヨン役のソ・ミンジョンであろう。少女と大人の狭間を演じる彼女たちは愛らしく、悪魔的な感覚を見事に演じている。なお、ソ・ミンジョンはキム・ギドク監督の撮りおろされたばかりの新作(『ドリーム』(邦題未定))にも主演しているという。
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  『サマリア』という作品が物語る援助交際から連なる友情、父娘というテーマは相当に重いし、様々な社会的な視点の置き方も出てくるはずだ。韓国社会にこういった事実があることを伝えたいというキム・ギドク監督の在り方は社会的であるが、作品の内容はそこを声高に吠え、指摘するのではなく、登場人物への優しさに満ちたトーンに貫かれている。少なくなったとはいえ、壮絶な暴力シーンも存在する。でも、そこに感じるのは優しさに裏打ちされた悲しみなのである。作品を観て痛切に感じるのはそういった優しさと個人が背負う罪の意識である。少女たちは無邪気さから罪を背負い、父は可愛がって育てた娘なのにと罪を背負う、少女たちを買った男たちも結果的に罪を背負っていく。その罪の向こう側にも優しさが介在している。視点を変えながら進んでいく3つのパートに分けられた物語は最終的にはそうした罪の解放へと向かっていく。その最後のシーンは非常に印象的だ。もちろん、映像の素晴らしさ、音楽の使い方(今回はエリック・サティー。音楽の使い方がすごくいい監督なのにその辺りの指摘が少ないのはなぜだろうか)も従来どおりの素晴らしさだ(そして相変わらずの難点を挙げれば、音声だ)。
  先に書いたように徹底的に社会に対する嫌悪感が表出していた『悪い男』や『魚と寝る女』から比べると『春夏秋冬そして春』で明らかに作品のトーンが変わったなという印象を受けた方は多いと思う。そのトーンはこの作品『サマリア』にも受け継がれている(キム・ギドク監督自身も自分の心境、社会との関係性の変化がそうしたトーンに表れていることを来日時の記者会見で認めていた)。これからのキム・ギドク監督がどこに向かうのかは分からないが、この『サマリア』という作品は衝撃から余韻へと移り変わった彼の作品として相当に印象的な作品になるはずだ。ぜひ、劇場に足を運んでください。   

ストーリー
「女子高生のチェヨンとヨジン。ふたりが気軽に始めた援助交際は想像もしない悲劇を生む。そして・・・・」
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  いつも笑顔を絶やさないチェヨンと刑事の優しい父親と二人暮しのヨジン。このふたりの女子高生の夢はヨーロッパ旅行だった。そのためにふたりは援助交際をしていた。身体を売るのはチェヨン、見張りと交渉はヨジンの役割という援助交際だったが、ヨジンはそのことで多少罪の意識を感じていた。ただ、チェヨンは気にする素振りもなかった。この日もパソコンの画面に向かい、プロフィールのやり取りをするふたり。その表情は無邪気なものだ。男性とアポイントを取り、ホテルへと向かうふたり。見張りをするヨジンは警察がホテルへ踏み込むのに気付き、チェヨンへと連絡する。この日はなんとか逃げることが出来たが、別の日の警察の踏み込みは想像もしない悲劇をもたらす。
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