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『らくだの涙』

配給:クロックワークス
オフィシャルサイト:
http://www.klockworx.com/rakuda/


キャスト スタッフ データ
インゲン・テメー
ボトック
オーガンバータル・イフバヤル
オドゲレル・アユーシ
ジャンチフ・アユールザナ
エンフブルガン・イフバヤル
アムガーバザル・ゴンソン
ツェベルジャムツ・ニャム
イフバヤル・アムガーバザル
チメド・オフィン
ムンフバヤル・ハグバー
アリウンジャルガル・アデヤ
ドゴー・ロルジャブ
チュルーンツェツェグ・グル
監督、脚本、原案:
    ビャンバスレン・ダバー
監督、脚本:ルイジ・ファロルニ
原案:ビャンバスレン・ダバー
製作:トビアス・N・シーバー
撮影:ルイジ・ファロルニ
編集:アンジャ・ポール

※マイアミ国際映画祭 優秀ドキュメンタリー賞 受賞
※サンフランシスコ国際映画祭 国際批評家賞 受賞
※ブエノスアイレス国際映画祭 観客賞 受賞

2003/ドイツ/35ミリ/スーパー16ミリ/カラー/1:1.85アメリカンビスタ/ドルビーデジタル/1時間31分

イントロダクション
「どこか懐かしく、優しいモンゴルの遊牧民の家族と子育て出来ないらくだを描いた物語風ドキュメント作品」
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  モンゴルという国から思い浮かべるのは、遊牧民と相撲、ホーミーや馬頭琴などの音楽だ。ただ、遊牧生活も社会主義経済から市場主義経済に移行するにつれ、徐々に減ってきているという。そんなモンゴルという国で映画が作られていることや、どのような映画が作られているのかという知識を僕は全く持っていなかった。社会主義政権時代にはソビエトとの人的、文化的交流により、旧東欧諸国と似たタッチの作品が作られていたのではないだろうかということは想像できるのだが、それも正直はっきりとしたものではない。今回紹介する作品『らくだの涙』は、厳密な意味ではモンゴル純正の映画ということは出来ないが、モンゴルを舞台にモンゴル人の監督(とイタリア人の監督)が撮った一風変わったドキュメンタリー作品である。
 モンゴルの広大な大地の中に暮らす遊牧民の4世代の家族。生活のためには欠かせない羊、山羊、らくだも大切な家族の一員である。ある日、白く可愛いらくだの子が生まれるが、その母らくだは子育てを拒否してしまう。子らくだの命を救うために、家族は母らくだに授乳をさせようと仕向けるが、母らくだはその意思どころか、子らくだに噛み付く始末。家族は母らくだの気持ちを癒すための最後の手段として、音楽家の手を借りることにする、というのがこの作品のストーリーである。
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 監督はモンゴル人のビャンバスレン・ダバーとイタリア人のルイジ・ファロルニ。驚くべきことに、この作品『らくだの涙』は商業的な公開を目指した映画でも、社会的な記録のために撮った作品でもない。モンゴルで映画を学び、ドイツのミュンヘン映像映画大学に留学し、映画の勉強を続けていたビャンバスレン・ダバーとミュンヘン映像映画大学の同級生であったルイジ・ファロルニの卒業制作として撮られた作品なのである。この作品を観た映画学校の関係者は内容に胸を打たれ、その後各地の映画祭に正式出品され、受賞、大絶賛を受けてきている。
 この作品のクライマックスで描かれている音楽の風習について、ビャンバスレン・ダバー監督は「私は都会で育った家族の一世代目です。音楽的な風習は私の祖父母にとっては、お茶を飲むように、全く普通のことでした。日常の習慣だったのですから、ことさら孫に聞かせようとも思わないでしょう。実際、私がこのことを知ったのは、80年代の初めに観たある映画でした。」と語っている。映画化に際してのリサーチでは、この風習がうまくいかなかったという話は聞かなかったという。しかし、実際にモンゴルに撮影に行ってもこの映画、監督たちが想定してる状況に出会えるという約束は当然なかった。そういった状況で、監督たちは「心に願えば、神の御霊に届く」という祖母の口癖を信じ、撮影を成功させている。これはタイミングが良かったという言い方も出来るかもしれないが、映画のテーマと重ね合わせると必然性を感じざる得ないエピソードである。
 最初にこの作品のことを一風変わったドキュメンタリーと書いたのは、劇映画のようなきちんとした筋立てがあるからである。ドキュメンタリー映画は監督の思考と編集の妙技から絶妙なストーリーが生み出されると思うのだが、この『らくだの涙』にはきちんとした物語が存在するのだ。ルイジ・ファロルニ監督は「この作品は“物語風ドキュメンタリー”という定義が適切だと思います。長編劇映画とドラマの技法を使いながらも、ドキュメンタリーの範疇に分類されるという意味です。」と語っている。この作品では出演者は実生活と同じ役柄をカメラの前で演じ、そこ映る出来事も大半が実際に起こった出来事だが、物語の流れを円滑にするため、つなぎなどのシーンに再現映像を用いているのだという。こういった手法に対する重要な着想を与えてくれたのは、往年のドキュメンタリー界の巨匠ロバート・J・フラハティの作品である(『アラン』、『極北の怪異』DVDも出ています)。
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 この作品には育児を放棄された子らくだの運命の行方がどうなってしまうのかという物語とともに、遊牧生活と街暮しの対比が印象的な作品でもある。例えば、街から離れて暮らす遊牧民家族の小さな息子たちが、最後の手段のために街へ音楽家を呼びに行き、その道中や街でテレビやゲームなどに魅了されていくという様子が描かれており、こういう部分は万国共通なんだなあと感じてしまう。そして彼らの家族がそれぞれの役割を持ちながら、きちんと存在しているこの作品に映し出される風景は、どこかにあったであろう忘れちゃった風景であり、その風景がこれもどこかに忘れちゃった最後の風習に確実につながっている。ゆったり、おおらかとしたとした気分が味わえる作品です。ドキュメントと敬遠することなく、ぜひ、劇場に足を運んでください。

ストーリー
「子育てを放棄した母らくだ。母らくだの心を癒すために鳴る音楽」
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  広大なモンゴルの大地に遊牧民として暮らす遊牧民の家族。曾祖父から子供たちまでの4世代にわたる家族である。家族は生活の糧として、羊、山羊、らくだも飼っている。彼らも大事な家族の一員である。ある日、そのらくだの群れに白い子らくだが生まれた。しかし、子らくだの母親は育児を放棄してしまう。乳すら与えられない子らくだ。家族はなんとか母らくだに授乳をさせようと試みるが、母らくだは子らくだに噛み付いてしまう始末。家族は母らくだの心を癒、育児をさせるために街から音楽家を連れてくることにする。そのメッセージを伝えるために小さなふたりの息子たちは馬に乗り、街へと向かった。
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