「ミュージシャンでホラー・マニア
ロブ・ゾンビの世界観に満ちたB級ホラーの快作」
サウンドトラックへの参加や役者としての出演、映画監督としての活動(ほとんどがこけているのだが)などロック・ミュージシャンと映画の係わりは深い。ロックが悪魔の音楽と揶揄された時代があるからなのか、それを売り物にしたいからなのか、悪魔、ホラー的な要素を売り物にしているロックミュージシャンも数多い。今では家族で人気者のオジー・オズボーンのいたブラック・サバス、棺桶ショーなどを行ったアリス・クーパー(元祖は、ジム・ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』で使われた「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」で有名なR&Bシンガー
スクリーミン・ジェイ・ホーキンス。日本のライブでもやりましたね)、バウハウスなどのパンクから生まれてきたゴシック・ロックという流れ(マリリン・マンソンなど。日本でも“ゴスロリ”という言葉が一般的なった)など、歌われる内容、奇抜なステージ・パフォーマンス、メイクや衣装にその影響がみられる。今回紹介する作品は、そんなホラー映画マニアのロック・ミュージシャンが作り上げた作品『マーダー・ライド・ショー』である。
この作品を監督したミュージシャンというのが、熱狂的なファンを多く抱えていたバンド
ホワイト・ゾンビを率いていたロブ・ゾンビ。怪優ベラ・ルゴシ主演の『ホワイト・ゾンビ(邦題:恐怖城)』から取られたというバンド名からもうかがえるように、子供の頃からホラー映画とアメリカン・コミックの虜であったという彼は、今では4000本以上のホラー映画のビデオを所有するという生粋のホラー・マニアである。彼が結成したホワイト・ゾンビももちろん、ゾンビ・メイク、インダストリアルなヘヴィー・ロックに乗せて繰り出される歌詞などホラー・テイストが満載のバンドであった。しかも単なるマニアックなバンドではなく、全米でトップ10入りするほどの人気バンドであったのだ。現在はバンド活動を休止し、ソロとして活動する彼だが、そのホラー的なテイスト、人気に陰りはなく、あのオジー・オズボーンの継承者と目されている。
そんな彼が作り上げた初監督作品『マーダー・ライド・ショー』はロブ・ゾンビのテイストに満ち溢れており、アメリカでは公開と同時に熱狂的なファンが押し寄せ、劇場を拡大しての大ヒットを記録している。ただ、この作品、完成から公開までがすんなりいったわけではない。元々はユニバーサルで制作されていたこの作品が完成したのは2000年。関係スタッフの評判も良く、そのまま公開されるはずだったのだが、トップの一声で公開は見送られることに。その後、2002年にMGMが公開する運びとなったが、これも中止。最後に名乗りを上げたのがマイケル・ムーアの話題作『華氏9.11』でも名をはせたインディペンデントな映画会社ライオンズ・ゲートであった。こうしたトラブルを経て、完成から3年という月日を経た2003年にこの作品は公開され、大ヒットを記録したのだ(作品の公開が見送られた理由としては、過激な内容のために年齢規制がつくことがあげられているのだけど、この辺の判断をどういったらいいのかね)。
音楽だけではなく、アルバムのジャケットやイラスト、ミュージック・ビデオの監督など自らのイメージを作り上げるアート・ディレクター的な立場でもあったロブ・ゾンビの世界に満ち溢れた作品がこの『マーダー・ライド・ショー』である。彼が影響を受けたであろう様々なホラー作品からの引用、自らの家族が経営していたという移動サーカス(見世物小屋)の影響、凝りに凝った美術とビジュアル、そしてインパクトのあるワンシーン、ワンシーン。物語に引き込まれるというよりは、『マーダー・ライド・ショー』という見世物に巻き込まれていくという圧倒的なごった煮のような世界観を持ったこの作品は、正直、好き嫌いが分かれる作品だろう。でも、ホラー、70年代、80年代頭の往年のホラーが好きなら、間違いなく気に入ってしまうはず。いかがわしさ満載のまさにB級と声を大にして語るべきホラー映画『マーダー・ライド・ショー』。ぜひ、劇場に足を運んでください(ちなみに続編も製作中。観たいです)。
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