「20世紀が生み出した文学の最高峰『ユリシーズ』のエッセンスを映画化した文学的香りのあるヒューマン・ドラマ」
20世紀が生み出した文学の最高峰と謳われているマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』とジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』。どちらも本当に長大かつ難解な作品であり、何年かごとに作品を“読破”するという小さなブームが起こっている(そして、多くの人が頓挫しているはずだ)。『失われた時を求めて』はカトリーヌ・ドヌーヴ主演で最終編のみを映画化した『見出された時「失われた時を求めて」より』などの作品があり、『ユリシーズ』もそのエッセンスを抽出した形映像化されている。ただ、その数は決して多いとはいえない。それはこの2作があまりにも壮大なテーマを有しているからだろう。今回紹介する『レオポルド・ブルームへの手紙』はジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』のエッセンスを映画化した作品である。
ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』の内容を多少なりとも知っている方なら、作品のタイトルにも使用されている人物の名前であるレオポルド・ブルームにピンとくるだろう。この名前は『ユリシーズ』の主要登場人物であるブルームから借りたものである。その他、この作品には『ユリシーズ』の主要登場人物であるスティーヴン、モリー(映画ではメアリー)も登場している。もちろん、作品でも彼ら3人は主要登場人物となっている。この他、映画内のセリフや人間関係の設定などに小説『ユリシーズ』からの引用があるという。そういった意味では、この作品『ユリーシーズ』に関心のある向きにはうってつけの作品なのである。
では、『ユリーシーズ』を知らないとこの作品を楽しめないのかといえば、そんなことはない。この作品はふたつの物語が進行し、コンプレックスしていく、誰もが深い感慨を抱くであろう良質な物語に仕上がっている。物語のひとつは15年という刑期を終え、出所したスティーヴンという男の話であり、もうひとつはレオポルドという孤独な少年と彼の母親メアリーの話である。レオポルドは学校の授業で囚人に向けて手紙を書き続け、それをスティーヴンは受け取り続ける。そして、出所したステーヴンはレオポルドに会える日を待ちわびているのだ。こうして物語は結ばれていく。そこには『ユリシーズ』の知識なんて全く必要ない。美しい映像、役者の好演、そこから紡ぎ出される物語の緩やかな流れに乗ってしまえば、先の想像がつこうが、この作品を存分に味わえるはずだ。
出演はスティーヴン役に『恋に落ちたシェークスピア』のジョセフ・ファインズ、メアリー役に『リービング・ラスベガス』のエリザベス・シュー、レオポルド役に新人の子役ディヴィス・スウェット。その他、デニス・ホッパー、サム・シェパード、デボラ・カーラ・アンガー、メアリー・スチュアート・マスターソンなどの実力派、個性派たちが脇を固めている。監督はこの作品が劇場長編デビュー作となるCMの世界で活躍してきた新鋭メヒディ・ノロウジアン。
僕自身は『ユリシーズ』はいつか読もうと思い続けている。とりあえず、爺にでもなるまでに読めればいいかと思っているのだが、そういった頭の中にあるリストもすでに満杯の状態だ。そうした状況でこの作品『レオポルド・ブルームへの手紙』を観た後に思ったことは、原作を読む足掛かり、タイミングが出来たなということだった。原作のどこを抽出し、物語を形作っていったのかということを考えたくなるほどにこの作品は魅力的だったのだ。その理由にはジョセフ・ファインズをはじめとする役者陣の好演もあるが、それ以上にこのコンプレックスさせなが進んでいく物語展開とそこにあるテーマに惹かれたということがある。“成長と解放”という誰もが描く普遍的なテーマをこの作品は文学的な深み、香りを残しながら、上手く描いているからだ(印象的なシーンがいくつもあるが、その中のひとつは映画のラスト近くでサム・シェパードが示す南部人魂だったりする)。正直、欧米も含め大きな話題となった作品ではない。でも、そういったことを気にせずに観てしまえば、深い印象を残す小品だと僕は思っている。あまりにもストレートな感動作ばかりがもてはやされる中で、多少なりとも文学的な味わい、語り口を持ったこういったヒューマン・ドラマをぜひ、劇場に足を運んで味わってもらえればと思う。
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