ホーム ライブラリー コラム プレゼント トレイラー ショップ 掲示板 会社概要
写真をクリックすると拡大写真が表示されます
公開劇場一覧を別ブラウザで開きます。 前のページに戻ります

『レフト・アローン』

配給:スローラーナー
オフィシャルサイト:http://www.leftalone.biz/

この映画の予告編はこちらから


キャスト スタッフ データ
スガ秀実
松田政男
西部邁
柄谷行人
鎌田哲哉
津村喬
花咲政之輔
監督:井土紀州
製作:吉岡文平
撮影:伊藤学
   高橋和博
音楽:太陽肛門スパパーン
ナレーション:伊藤清美
2004/DV-cam/第1部1時間33分・第2部1時間49分

イントロダクション
「60年代の学生運動、新左翼とは何だったのかを体験者の証言を中心に検証するドキュメンタリー作品」
写真をクリックすると拡大写真が表示されます
>>拡大写真  
  政治や思想的な立場で「右なのか、左なのか」という問われ方や言われ方を耳にすることはほとんどなくなってきたような気がする。選挙などで政治的な判断をする場合でも「似たり寄ったり(保守中道)」の中からどちらをセレクトするのかという風になってきているし、実際に「左」とされていた政治団体は大きな転換を余儀なくされてきたという歴史的な事実もある。それがソ連の崩壊とそれにともなう米ソの冷戦構造の終焉であった。それまでにソ連を非難していようが「左」を標榜していた政治団体にとって、その事実は余りにも大きすぎた。極端な言い方をすれば、イデオロギーの崩壊である。それでも「左」を標榜する政治団体、民間団代は地道に活動しているし、「左」を代表する活動家であったチェ・ゲバラの青春時代のバイク旅行を描いた作品『モーターサイクル・ダイアリーズ』も多くの人に受け入れられている。そして、この「左」がカウンターカルチャーと結びつき、大きな盛り上がりを見せた時代もあった。今回紹介する『レフト・アローン』は日本での「左」というものを識者との対談や多くの資料により検証していく2部構成のドキュメンタリー作品である。
 監督はピンク映画などの脚本家、映画監督として活躍する井土紀州。1968年生まれの「左」の全盛期とはほとんど無縁の監督である。この作品のひとつの方向性として、1968年生まれの監督が「左」の政治運動が大きく動き、盛り上がった1968年を捉えるという部分があったのは間違いない。監督自身はこの作品に関して「“観客を作られた世界に引き込み、そこで興奮と陶酔のひと時を味あわせるのではなく、むしろ現実に対する思考を促し、観客の活動力を鼓舞する」というブレヒトの演劇に対するこの態度を、私たちは私たちのもうひとつの映画のために、もう一度検討する必要がある」と語っている。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます
>>拡大写真  
 2部構成の作品の第1部は有名なレーニンの演説写真の映像から始まる。演壇に登り、観衆に向かって演説をするレーニンだが、実はこの写真からはあるものが消去されていたのだった。それは演壇の横に立つトロツキーの姿である。この写真はスターリン体制時代にスターリンこそがレーニンの偉大なる後継者だという意味合いで意図的に発信されたものだとされている。そしてこの写真の存在が語るのは歴史のフィクショナリズムだ。その後、映画は早稲田大学におけるサークルスペース移転阻止闘争(移転により自主管理が失われる)の映像へと変わっていく。ここで先頭を切って大学当局と戦っているのが、この作品のキーとなる人物 評論家のスガ秀実である。この第1部ではスガ秀実が映画評論家としても活躍する松田政男、評論家の西部邁、柄谷行人、鎌田哲哉などに当時の状況をインタビューし、される風景、当時のフッテージを織り込みながら、1968年までの左翼運動(新左翼の誕生)の道筋を描いていく。第2部は評論家のスガ秀実が20世紀において最も重要な年のひとつとして位置づける1968年を中心に今後の左翼運動という観点で話が進んでいく。スガ秀実が1968年を重要な1年と位置づける理由は、日本の学生運動はもちろん、パリの5月革命、アメリカの公民権運動(キング牧師の暗殺)、プラハの春とその終焉など世界的に市民からの運動が大きく盛り上がったからである。実際にその時代を肌で感じ、運動にかかわりながら過ごしたスガ秀実は1968年という時代にこだわりながら、1部でも登場した評論家たちにその意義を問い、現在の運動のあり方へと立ち返っていく。
 この作品は世代によって様々な感じ方や見方が出来る作品であると思う。実際に学生運動にかかわった世代にとっては懐かしく、苦い経験なのかもしれないし、それを全く知らない若い世代にとっては固有名詞からしてチンプンカンプンかもしれない。“ニュー・レフト”(新左翼)という運動は字面の重さもあり、終わりかけているが、その思想自体はNPOなどの民間の活動家たちに受け継がれてもいる。内容も違うかもしれないが、それは確かなことだと僕は思っている。作品の1部は新左翼の流れを感じるという部分でも秀逸であるし、2部は期待を持ちすぎかなと感じる部分もあるが、その後の提言として面白く、考えさせられる部分がある(個人的には柄谷行人でした)。あの時代が何だったのか、そしてそれがどうなっているのか、どうつなげるのかという部分でも、こういう時代だからこそ、考えさせる、思考させる部分を持っている作品だと思う。間口は広いとは思えないが、数パーセントでも関心があるなら観てもらえればと思う。ぜひ、劇場に足を運んでください。   

ストーリー
「1960年代の新左翼運動とは何だったのか。それはどうなっているのか。評論家 スガ秀実は追い求める」
写真をクリックすると拡大写真が表示されます
>>拡大写真  
 2001年早稲田大学。サークルスペースが従来の自主管理ではなく、大学当局の管理下にはいることを巡り、勃発したサークルスペース移転阻止闘争。その現場の最前線で学生たちと共に闘う評論家で、早稲田大学の非常勤講師であるスガ秀実。彼は学生運動全盛期の時代を体験し、その衝動を現在まで持ち続けている。そんな彼がこだわり続けるのは1968年という学生運動が頂点に達した時代が持っていたものであり、その何かが現在にどう繋がり、未来へと続いていくのかであった。スガは松田政男、西部邁、柄谷行人、鎌田哲哉などの識者たちと対論しながら、その何かを手繰り寄せていこうとする。
movilog
ピックアップムービー
サーチ
DVD比較はベストプライス


リンク
メールマガジン登録
神雕侠侶オフィシャルウェブサイト
ベクター・メディカルテック・ジャパン
*giggle
本サイトをご覧になりるにはFlashPlayerが必要です。 IE5.0以上推奨 画面サイズ推奨800×600以上 お問い合わせ先