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『熊笹の遺言』

配給:「CINEMA塾」
オフィシャルサイト:
http://www.cinema-juku.com/kumazasa/


キャスト スタッフ データ
谺雄二
浅井あい
鈴木時治
吉田大基
監督、編集:今田哲史
プロデューサー、編集、ナレーター:原田芙有子
撮影:剣持文則
録音:大地正芳
音楽:松本頼人
※山形国際ドキュメンタリー映画祭2003「学ぶこと、教えること、作ること -ドキュメンタリーの学校にて-」“正式招待”
※第7回 JPPA AWORDS 2003学生部門エディティング・カテゴリーU部門 “ゴールド賞受賞”
※第13回 あきた十文字映画祭 “北の十文字賞”&“観客賞W受賞”
※第2回横濱学生映画祭 “学校対抗部門優秀賞(グランプリ)受賞”
※AZ contest 2003“準グランプリ&観客賞W受賞”

2002年/日本/16mm/カラー/ヴィスタサイズ/1時間

イントロダクション
「国家賠償請求訴訟勝訴から1年。ハンセン病元患者の姿に焦点を当てた意義あるドキュメンタリー作品」
 ハンセン病(らい病)という病気をご存知の方は多いだろう。このハンセン病が大きな注目を浴びたのは、元患者たちが起こしたハンセン病違憲国家賠償請求訴訟の勝訴(2001年)と国の控訴断念、首相による謝罪というメディアによる報道による部分が大きかった。感染力の極めて弱い感染症であるハンセン病は日本では遺伝病として処理され、患者を強制的に隔離してきた。第二次世界大戦後はアメリカで開発された特効薬が入ったことにより、完全に治癒する病気とされたが、日本では隔離政策は変わらずに続けられていく。そうした隔離政策を定めてきた法律が廃止されたのは1996年、最初の法律が制定されたのは1907年であるから、裁判の勝訴までの期間も含めてほぼ1世紀もの間、ハンセン病の患者たちは法律という楔で国から自由を奪われていたのである。今回紹介する作品『熊笹の遺言』はそうしたハンセン病療養所に暮らす元患者たちの姿を捉えたドキュメンタリー作品である。
 群馬県草津市にある国立ハンセン病療養所栗生楽泉園。映画はここに暮らす3人の元患者 -ハンセン病違憲国家賠償請求訴訟を勝訴に導いた谺(こだま)雄二さん、故郷である金沢を離れ、この楽泉園にやってきた浅井あいさん、50年ほど前から絵を描いている鈴木時治さん- の日常を映し出していく。撮影された時期は、国家賠償請求訴訟に勝利した翌年の2002年。そこには落ち着いた明るい日々があるように思えるのだが・・・・。
 この作品を監督したのは20歳代の映画監督 今田哲史。大学を卒業後、映画学校に入学し、映画制作の勉強をしながら自主制作で作品を撮り続けてきた監督である。この作品『熊笹の遺言』は卒業制作として製作した作品であるが、山形国際ドキュメンタリー映画祭2003の正式招待されたほか、第7回 JPPA AWORDS 2003学生部門エディティング・カテゴリーU部門 ゴールド賞、第13回 あきた十文字映画祭 北の十文字賞、観客賞を受賞するなど大きな評価を獲得してきている。
 ハンセン病患者の作品を撮ろうと思ったきっかけについて、今田監督は「映画学校の二年生に上がる前の春休みくらいから、ハンセン病の裁判に関するニュースを目にし、日本がこのようなひどいことをしてきたということにショックを受けていた。ただ、そうしたニュースに出てくる元患者さんたちは表層的な顔のみを画面に映し出され、素晴らしい素顔を見ることは出来なかった。そこに僕は放送というメディアの限界を痛切に感じたし、彼らの素顔を映す役目はやはりドキュメンタリーなのかなと思ったことだけは覚えていた。そこで、ハンセン病に関して勉強をしなくてはと思ったのだが、その気持ちはだんだんと薄れていった。そして、ハンセン病に関するメディアの賑わいも無くなっていった。しかし、三年生となり卒業制作の企画書に迷わずにハンセン病を題材としたドキュメンタリーを撮りたいと書いた。それは自分にとってこのテーマが引っかかり続けていたこと、その存在自体を忘れていくことになるであろうハンセン病というものの意味を今一度検証する作業がドキュメンタリーを志す自分にとっても、情報が氾濫する日本という国にとっても重要だと思ったからだ。」と語っている。
 今田監督が療養所での取材を始めたのは、偶然にも2002年5月の勝訴一周年記念の会合だった。裁判が終了しているから、うまく行くだろうと考えていた取材や撮影も、「これで作品が完成するのだろうか」という迷いや患者さんとの軋轢で難航したという。そうした部分を乗り越えて出来上がったこの作品が伝えるのは、彼らが経験してきた“過去”と先の短い人生を生きる“今”の姿である。卒業制作であること、限られた時間などの制約からどうしても伝えきれなかった部分や伝わりきらない部分、拙さがあるのは仕方ないと思う。ただ、そういった部分を差し引いてもこの作品が僕たちに伝えるものは大きいと思う。最近もホテルへの宿泊拒否報道が起こったハンセン病問題。そういった部分も踏まえて、ハンセン病とは何なのか、生きるとは何なのかを感じ、考えてもらえればと思います。ぜひ、劇場に足を運んでください。

ストーリー
「ハンセン病療養所に暮らす3人の元患者の“現在”と“過去”」
 群馬県草津市にある国立ハンセン病療養所栗生楽泉園。ここには平均年齢74歳を超えた250人以上の元患者が暮らしている。そして、高齢のため、多くの元患者が亡くなっていっている。
 国家賠償請求訴訟に勝利してから1年、作品はここで暮らす3人の元患者の日常とその過去を映し出していく。ハンセン病違憲国家賠償請求訴訟を勝訴に導いた谺雄二さんはこの施設を誰もが利用できるように現在も様々な活動に携わっている。そして、谺さんはこの療養所を出て社会生活を送りたいという想いを持っていた。
 故郷である金沢を離れ、ここにやってきた浅井あいさんは盲目である。4年前に夫を亡くし、どこかで夫の影を感じながら日々を営んでいる。そんな彼女は裁判後に里帰りした金沢で目の不自由な少年に出会い、交流を深めていく。
 50年ほど前から絵を描いている鈴木時治さんは筆を握る指がなく、視力もほとんどない。彼はそれでも死ぬまで絵を描き続けたいと願っている。彼の描く絵の少女のモチーフは、この療養所で自殺した妹だった。最場版に勝訴した今、彼らは何を見ているのだろうか。
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