ホーム ライブラリー コラム プレゼント トレイラー ショップ 掲示板 会社概要
写真をクリックすると拡大写真が表示されます
公開劇場一覧を別ブラウザで開きます。 前のページに戻ります

『コウノトリの歌』
SONG OF THE STORK
配給:ギャガ・コミュニケーションズ、アニープラネット
オフィシャルサイト:http://www.gaga.ne.jp/kounotori


キャスト スタッフ データ
ドー・ハイ・イエン
ファム・ジア・チー・バオ
ター・ゴク・バオ
トラン・マイ・グエン
グエン・ゴク・イエプ
クアン・ハイ
ルー・クアン・ビン
トラン・バン・チュイ
ウェイン・カーリン
監督:ジョナサン・フー
    グエン・ファン・クアン・ビン
プロデューサー、音楽:
    ジョシュア・ホン
脚本:グエン・クアン・サン
   トゥ・ボン
   グエン・ドゥイ
   ウェイン・カーリン

2001年/ベトナム・シンガポール/カラー/ビスタサイズ/ドルビーデジタル/

イントロダクション
「ベトナム側から描くベトナム戦争。戦争が生み出した数々のドラマが大きく訴えかけてくる作品」
写真をクリックすると拡大写真が表示されます
>>拡大写真  
  第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争とアメリカが積極的に参戦していく戦争はその様子を大きく変えていく。勝利の戦いで“GOOD WAR”とも呼ばれる第二次世界大戦に対し、勝てなかった戦いである朝鮮戦争、負けた戦いであるベトナム戦争。国民が一丸となって戦った第二次世界大戦に対し、国民が完全に割れてしまったベトナム戦争。そこに噴出したのは、戦争やアメリカという国への疑問符であった。映画も英雄的な娯楽アクション作品が多い第二次世界大戦に対し、ベトナム戦争では精神的な不安や陰惨さが描かれていくなどこのあたりの変化は確実に描かれている。そんな映画でアメリカが英雄的に描く第二次世界大戦も負けた側に立てば(これは勝ったヨーロッパの各国も同様なのだが)、悲惨極まりない戦いであったことも描かれている。しかし、ベトナム戦争に関してはアメリカ側が描く姿があるだけで、もうひとつの当事国であるベトナムが描く映画というものはなかったような気がする。今回紹介する作品『コウノトリの歌』はそんなベトナム戦争をベトナムが描いた作品である。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます
>>拡大写真  
 ベトナムとシンガポールの合作映画であるこの作品『コウノトリの歌』の発端は共同監督を務めたシンガポール人のジョナサン・フーの発案によるものだった。フー監督は「私がベトナム戦争について知っていることといえば、アメリカ映画から得た知識だけだった。それらの映画の中で、ベトナム人たちはパジャマみたいな服を着て編笠をかぶり逃げ回っていた。」と語っている。フー監督が語るように僕たちがあめりか映画で観るベトナム人は、爆撃を受けたり、村を焼き払われたりして逃げまくる姿だったり、ベトコンとして不気味な恐怖を生み出す姿だった。そこには彼らの人生があるはずなのに、当たり前だがそういった部分は一切描かれていない。今でも観ることが出来る当時のニュース映像もその色合いが強かった(ただ、このニュース映像で捉えられたあまりにも悲惨な状況が、アメリカという国に分裂と疑問を抱かせたのである。そのため、この後の戦争では国による報道統制的な色合いが強くなってくる)。フー監督自身はたまたまテレビ番組のためにベトナム人にベトナム戦争について聞く機会があり、その後、自分なりにリサーチをしていくようになり、その内実を知っていったという。そして、友人であるベトナム人の友人グエン・ファン・クアン・ビンに共同監督を提案し、この作品『コウノトリの歌』は始まることになったという。
 この作品の物語は、実際にベトナム戦争にカメラマンとして従軍し、現在はドキュメンタリーの映像作家として活躍する男の回想と出会いを軸に綴られていく。戦場下での家族との再会、女性兵士の活躍、南と北という政治に引き裂かれる家族、元アメリカの軍人との再会などのエピソードによりつむぎだされ、つながっていくこの物語の脚本は、3人のベトナムの著名な作家や詩人と映画にも出演している作家として活躍する元アメリカ軍人の4人のベトナム戦争の体験者により共同執筆されている。そして、完成した作品は各地の映画祭に出品され、絶賛を浴びている。ちなみにタイトルのコウノトリはベトナムの数多くの詩や民謡にも登場するベトナム原産の鳥であるコウノトリの力強さと意志の強さ、美しさを表しているという。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます
>>拡大写真  
 共同監督であるグエン・ファン・クアン・ビンが「この映画に描かれた物語はすべて私たちの家族や友人たちが経験した真実の出来事なんだ」と語るこの作品『コウノトリの歌』は戦争映画につきものの大きな戦闘のシーンも、戦勝国であるベトナムがアメリカを揶揄するような表現もほとんどない(ベトナム人の死者はアメリカ人の100倍以上なのにだ)。あるのは戦場における兵士たちの姿である。そこにはつかの間の楽しみもあるが、描かれているものの大部分が日常に戻れないという恐怖である。狂言回しのように回想し、人に出会う男は「なぜ私は生き残ったのか」と繰り返し自問し続ける。そこにあるのは悔恨と悲しみである。彼が出会う生き残ってきた男たちもそういった気持ちを持ちながら生き続けている。英雄になるのでもなく、声高に戦争を語るのでもなく、そういった気持ちを抱え続ける彼らが語る戦争の姿は様々なシーンを通して、こちら側に大きく訴えてくる。ベトナム戦争を背景に持つ作品ではあるが、この作品が訴える戦争が生み出すドラマというものは普遍であると思う。現在の時代背景と重なる部分も多いこの作品『コウノトリの歌』、ぜひ、劇場に足を運んでください。
  

ストーリー
「生き残った者が語り、聞く、ベトナム戦争に従軍した者たちの物語」
写真をクリックすると拡大写真が表示されます
>>拡大写真  
  ベトナムのハノイの街いつもと変わらぬ人々の喧騒に包まれるベトナムのハノイの街。ここの路上に立ち尽くすひとりの男がいる。彼の名はトラン・バン・チュイ、ベトナム戦争にカメラマンとして従軍し、生き残った者のひとりである。サイゴン解放25年を明日に迎えようとしているこの日、男はこう自問し続けていた「なぜ大勢の仲間は死んだのにわたしは生き残っているのだろうか」と。彼は自分が戦場で出会った仲間たちの物語を語り、生き残った者の過酷な話を聞き、敵であった米兵ともあの日のことを語り合う。そこにあるのは様々な真実のドラマだった。
movilog
ピックアップムービー
サーチ
DVD比較はベストプライス


リンク
メールマガジン登録
神雕侠侶オフィシャルウェブサイト
ベクター・メディカルテック・ジャパン
*giggle
本サイトをご覧になりるにはFlashPlayerが必要です。 IE5.0以上推奨 画面サイズ推奨800×600以上 お問い合わせ先