「写真家ホンマタカシが捉えた写真家中平卓馬の日常
ポートレイト・ムービー」
今の時代の日本を代表する写真家をひとりあげてくださいという質問に対しては様々な写真家の名前があがってくるだろう。その中に必ず出てくるであろう写真家がホンマタカシである。広告、雑誌、CMなどで活躍し、東京の郊外の町並みを大判カメラを使い、クリアでフラットな色合いで切り取った写真で圧倒的な評価と支持を獲得しているホンマタカシ。そんな彼の久々の映画監督作品が公開される。それが今回紹介する作品『きわめてよいふうけい』である。
この作品『きわめてよいふうけい』はわずか40分間という長さのドキュメンタリー作品である。ドキュメンタリーの素材として、ホンマタカシがテーマとしたものが非常に興味深い。それは60年代後半から日本の写真界の尖鋭として活躍してきた中平卓馬という同じ写真家であるからだ。世代は違うが、日本の写真界の時代を切り開いてきた者同士が対峙しあうドキュメンタリー作品に興味をそそられる方も多いのではないかと思う。ホンマタカシについてはご存知の方が多いと思うので、ここでは簡単に中平卓馬について触れておきたい。
中平卓馬は雑誌の編集者から写真家に転向している。その転向には当時、編集者として付き合いのあった東松照明の影響によるものだった。カメラを手にした中平は、「アレ・ブレ・ボケ」を多用した写真を60年代後半から70年代はじめにかけて発表し、新たな写真の発表の場としての写真同人誌も発行。鮮烈な言葉と批評眼を合わせながら、時代を走り抜けていたが、1977年に急性アルコール中毒のために倒れ、記憶のほとんどを失ってしまう。その後、病気療養のために訪れた沖縄で再びカメラを手に写真を撮り始め、現在も精力的に写真を撮り続けている。
この作品『きわめてよいふうけい』は中平卓馬がこだわりを持って撮り続けている沖縄でのシーンと日々のシーン、森山大道の証言などによって綴られていく。先にこの作品について“日本の写真界の時代を切り開いてきた者同士が対峙しあうドキュメンタリー作品”ということを書いたが、正直、この作品でふたりが対峙しているとは言い難い。沖縄での中平卓馬、日々の中平卓馬の姿をホンマタカシのカメラは追っていくだけである。その間にホンマタカシらしい風景が固定したカメラで写し出されていく(このシーンはホンマタカシの写真集を見ているようだ)。60年代後半から70年代はじめにかけて時代を挑発し、疾走し続けた中平卓馬の姿はこの映画ではほとんど説明されていないので(それでも挿入される彼の数枚の写真には震えがくる瞬間がある)、正直、中平卓馬という人を知りたいという人には不親切だなと感じるかもしれない。そういった説明らしい説明をせず、現在の日々の中平卓馬を追っていくこの作品は、映画というよりも写真の延長線上の存在する映画、日々の記録、日記的な映像なのかもしれない。そこで思い出すのがジョナス・メカスという映像作家である。メカスはナチスドイツとソ連軍の侵攻により故国リトアニアを離れざる得なくなり、アメリカへと亡命。そこで日記のように日々の自分の身の回りの風景を撮り始めた“個人映画”の第一人者である。ホンマタカシがメカスに影響を受けているのかどうかは分からないが、ここにはホンマタカシが中平卓馬に触れた日常のひとこま、ひとこまが写されている。だから、これは映画というよりも映像作品と捉えられるべき作品であるのかもしれないし、ドキュメンタリーというよりはホンマタカシが写し撮った中平卓馬のポートレイト・ムービーと捉えるべき作品であるかもしれない。そして、そこにはホンマタカシが感じ、中平卓馬が過ごし続ける“きわめてよいふうけい”が広がっている。その風景に何かしらのものを感じたら、次に中平卓馬の作品を手にとって見ればいいのだと思う。この映画の先にあるのは中平卓馬が日々撮り続けている写真という作品であるのだし、それは日々継続しているのだから。ホンマタカシの写真が好きだったり、写真や継続する日常ということに興味があるなら、見たほうがいい作品だと思います。不思議とどこかが引っかかってくるはずです。ぜひ、劇場に足を運んでください。 |