「『イン・ザ・プール』で劇場監督デビューした三木聡の彼らしいオフビート感覚に満ち、日常への愛しさを感じさせる新作が登場」
シティボーイズの舞台の作・演出家、「タモリ倶楽部」、「ダウンタウンのごっつええかんじ」、「トリビアの泉」など数々のTV番組に構成作家として関わり、その才能を発揮してきた三木聡。現在絶賛公開中の劇場監督デビュー作『イン・ザ・プール』では奥田英朗の原作の持つテーストを活かしながら、更に独自の味わいを付け加え、映画監督としての才能の片鱗も見事に示している。役者陣の怪演も光るこの作品に笑い倒された方も多いのではないだろうか。そんな三木聡監督の劇場公開第2作目となる
新作が、デビュー作から僅かの期間を経て公開される。それが今回紹介する『亀は意外と速く泳ぐ』である。
連続公開される形となった奇才 三木聡による監督作品だが、製作順序は逆であるという。ま、大した問題ではないが、完全にオリジナルな脚本で三木聡の色がグワーンと出たこの作品の方がちょっとマニアックかなということは出来るかもしれない。ただ、逆の見方をすれば、三木聡の作り上げてきた笑いが好きな人にはこれほどたまらない作品はないということになるのだ。
物語の主人公は海外赴任中の夫に頼まれたペットの亀の面倒を見ることだけが日課という平凡な主婦。待ち合わせをした親友は待ち合わせ時間になってもやってこないし、トイレではおばさんが私の姿がないかのようにぶつかっても平気な顔、バス停でバスを待っていたのにそのバスが素通りしてしまう。このままじゃ、この日常に埋没してしまうかもという不安を抱える彼女が見つけたのはスパイ募集という切手サイズくらい小さな張り紙。彼女は意を決してそこに電話をしてみるのだが・・・・というもの。平凡な主婦がスパイになるという大それた作品、何かの陰謀に巻き込まれるかなんて想像もしたりするかもしれないが、正直全く(でもないか)そんなことはなく、三木聡らしいコチョコチョとくすぐられるようなオフビート感覚に満ちた作品となっている。
出演は『スウィング・ガールズ』の上野樹里、『リリィ・シュシュのすべて』の蒼井優というこれからの活躍が大いに期待される若手女優ふたりと、岩松了、ふせえり、伊武雅刀、松重豊、要潤、村松利史、緋田康人、温水洋一など舞台にテレビにと幅広く活躍する個性的な面々。この役者陣が十二分に持ち味を発揮している。
三木聡が作・演出を担当したシティ・ボーイズの舞台を見たことがある方なら、いくつもののズレた不条理な笑いのショート・コントが続きながら、ひとつに結実していくという感覚が分かるのではないかと思うが、この作品『亀は意外と速く泳ぐ』は正ににそういったテーストに満ちた作品である。スィート・スポットにはまったなら、抜け出せないような脱力感に満ちた小ネタがゆるりと展開し、物語を形作っていくのだ。三木聡監督はこの作品について、スパイ募集のポスターが実際に貼ってあるという噂からスパイ募集のポスターは5ミリ以下の大きさでなければならないという構想を得て、そこに様々なネタを重ねながら物語を形作っていったという。監督自身はそれを小ネタ主義と語っているが、その小ネタの笑いだけではない世界がこの作品には満ちている。
それは平凡、普通の中に見えてくる面白さ、不条理さである。平凡に暮らすことで日常に埋没しそうな主婦はスパイ募集の張り紙を見て、応募し、採用されることで今までと変わらない生活に全く別の気分を抱いてしまう。彼女がスパイに採用されたのはその平凡さゆえなのだが、今度はスパイとして平凡に普通に生きることに妙なプレッシャーがかかってきたりするのだ。そしてそのことは彼女に新たな発見や楽しみをもたらしていく。でも、その楽しみって、今までにやってきた生活に存在していたことで、単に気づかなかっただけであったりもする。実は平凡で普通っていうのはすごく楽しく、愛しいことであったりもするのだ。作品の中では彼女を採用する某国のスパイだという夫婦のとあるシーンにそのあたりのことがうまく押し込められていて、ちょっとジーンと来てしまったりもする。
作品の評価は三木聡の笑いにはまるか、はまらないかで大きな差が出てくると思うが、ありえないけど、ありえるかもしれないあるひとりの主婦の日常を描きながら、平凡であることの面白さを描いてしまうなんて本当に素晴らしいと思う。そういう意味で『亀は意外と速く泳ぐ』というタイトルもいいですね。三木聡のファンはもちろん、なんてことはない日常をちょっとひねって描いたような作品が好きなら見逃せない作品です。ぜひ、劇場に足を運んでください。
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