「テロ事件を起こしたカルト教団に所属した少年、家族から離れた少女を主人公に、生きることの確かさ、力強さを綴ったロード・ムービー的作品」
20世紀から21世紀への世紀の移り変わりに大きな意味があるとは思えないのだが、結果的に観れば、20世紀の終わりにはその後への多大な影響を及ぼすであろう事件が幾つか起こっている。そのひとつが神戸連続児童殺傷事件であり、ひとつがオウム真理教による一連の事件である。例えば、神戸の連続児童殺傷事件をはじめとする少年が加害者である事件は少年法の改正問題、オウム真理教の事件は破防法の問題へと繋がっていった。そうした法律的な面からもこれらの事件は後の時代へのキーとなるはずだし、それ以上にひとりの人間として様々な感慨を抱かせたはずだ。神戸の連続殺傷事件の加害者は昨年(2004)末に保護観察期間を満了し、オウム真理教による地下鉄サリン事件からはすでに10年が経とうとしている。そういった中、オウムを題材としたカルト教団にいた子供をテーマにした作品が公開される。それが今回紹介する作品『カナリア』である。
オウム真理教に関する作品としては森達也監督によるオウム真理教を内部からとらえたドキュメンタリー作品『A』、『A2』が思い浮かぶのではないだろうか。今回、紹介する作品『カナリア』はその団体に親の意向で所属した少年の事件後の姿を描いたフィクションである(映画ではオウム真理教という名前を使用せず、ニルヴァーナとされている)。
テロ事件を起したカルト教団で数年を過ごし、児童相談所に預けられていたひとりの少年は従順になることもなく、反抗的な態度を貫き通し、児童相談所を脱走する。別れ別れになった妹を救い、どこに居るか分からない教団の幹部だった母親と暮らすために彼は走り出すというのが、この作品のストーリーである。走り始める中で、少年は旅を共にすることになる少女や元信者などに出会い、現実、生きることの手ごたえを手にしていく。
監督は、大ヒット作『黄泉〈よみ〉がえり』、『害虫』、『どこまでもいこう』の塩田明彦。監督はこの作品の着想ついて「自分自身が構想していたある凶暴な少年の物語に、オウム真理教のサティアンから強制的に保護された子供たちの強烈な敵意に満ちた瞳の映像が思い浮かび、それが接続されることで始まった」と語っている。そこから、子供たちのその後についてのリサーチを開始するが、当然、これといった記録も情報もなく、接触も出来るはずがなかった。あるのは極端な話、“空白”だけだったのだ。ただ、塩田監督は「その空白こそが大いに私たちの想像力を刺激したし、その空白こそが私たちの探し求めていたものかもしれない」と語っている。それこそが「フィクションを作り続ける」意義、理由、力なのであると。
主演は『バーバー吉野』の転校生の演技も印象的だった石田法嗣、これが映画初出演となるドラマにCMにと活躍する谷村美月。その他、西島秀俊、甲田益也子、りょう、つぐみ、水橋研二などの個性的な面々が脇を固めている。また、1930年代の松竹映画で活躍した井上雪子が68年ぶりにスクリーンに出演していることも大きな話題だろう。音楽は世界中で評価されているインプロバイザーであり、多くの映画音楽も手がけている大友良英、印象的な挿入歌を浜田真理子、エンディング・テーマを元ナンバーガールの向井秀徳が担当している。
この作品で印象的なのは主人公である少年と少女の力強さだろう。子供なのに大人以上に大人らしく突き住んでいくふたりの力強さはこの作品に出てくる世間では普通の生活をしているとされる大人たちとの対比でより浮き彫りになっていく。妹を奪還し、母親と暮らすという目的に向かい歩き続けていく中で、少年は様々な出来事に出会い、自分が別の意味で正しいと信じざる得なかった教義との折り合いをつけていかなければならなくなる。それは現実に出会っていくということだ。そういった中で、最も大きな現実のひとつは彼に教義を強要し、可愛がってくれた教団の仲間たちに出会うことである。彼らは教団という枠を抜け、現実の世界で迷いながらも生活を続けている。その一方で、幹部として逃げている自分の母親という大きな存在も少年の中にはあるのだ。そして、家族という存在を捨てようとした少女にとってもそれは同じである。
作品の中でもうひとつ印象的なのは、少女が思い出として何度も口ずさむ「銀色の道」というピーナッツなどが歌った昭和40年代の歌謡曲である。歌詞の内容は多くの方が知っていると思うが、昭和40年代は明日への希望として歌われていたであろうこの歌が作品中では様々な意味合いを込めて歌われ、ぐっと深く胸を打つ瞬間が何度となくやってくる。そして、少年や少女の実際に走り出す足音、それを表すように鳴り響く和太鼓などの打楽器の強さに満ちた音色も印象的だ。
エンディングには賛否両論あるのではないかと思うが、この作品はこの先の時代を生きていくという子供たちの生への力強さに満ちている。現実がどうなっているのかは分からないが、ここにはフィクションとしての圧倒的な希望が存在している。ぜひ、劇場に足を運んでください。 |