「子供の頃に感じていた気持ちを思い出させてくれるフランスらしさに満ちた子供の日常を描いた作」
新しい映画作品の情報は試写のご案内という形で知ることが多いのだが、数多く来る作品情報の中で、そのタイトルで目を引く作品がある。今回紹介する『ぼくセザール10歳半1m39cm』もそんな作品のひとつだった。「いやー、インパクトのあるタイトルをつけるな」と思ったのだが、後日、原題をそのまんま翻訳しただけだと気づいた(『MOI
CESAR 10ANS1/2 1m39』。となると、この作品の監督を始めとするスタッフがいいタイトルをつけたということになるのか)。そんなインパクトのあるタイトル『ぼくセザール10歳半1m39cm』が表すように、この作品はセザールという10歳半の少年が主人公の物語である。
子供が主人公の物語というと“可愛さ”、“けなげさ”を売りにした作品だろうと思う人がいるかもしれないが、この作品はそういう部分だけの作品ではない。フランス映画らしい(フランス人らしいか)シニカルな視点、10歳半という子供の出口に差し掛かった男の子の気持ちと思い込みがうまく交じり合った作品となっているのだ。
物語の主人公セザールは小柄で小太りの男の子。決してかっこよくも可愛くもない子供である。大人からは子ども扱いしかされず、学校では一目置かれるような存在でもないし、そんなのになろうとも思っていない。最近転校してきた子に恋をしているが、スマートに伝えられる柄でもない。そんなセザールの日常を彼自身のシニカルな心の独白と共に語っていくこの作品は、僕たちが子供の頃に感じていた今の地点から思えばどうってことないような大人への不信感や悩みを思い出させてくれる内容になっている。実際、この作品を観れば、「ああそうだったよな」と頷いてしまうことが多いはずだ。
監督はフランスの名優リシャール・ベリ。この作品が長編第2作目である(1作目は日本未公開)。この作品についてリシャール監督は「もうずいぶん前からこの作品の構想は抱いていました。ずっと気になっていたのですが、どういう形にすればいいのかよく分からずにいました。そのアイデア、アプローチの方法が浮かんだのが私の監督デビュー作の封切の晩でした。そのアプローチの方法とは目線を子供の視点に重ねることでした。」と語っている。目線を子供の視点に重ねるというアプローチ方法として、リシャール監督はセザールの“心の独白”(ナレーション)と全編セザールの身長1m39cmに合わせた高さでの撮影方法を取りいれている。これにより見る側はセザールの世界にアプローチしやすくなるわけだ。大人になるにつれて忘れていってしまう子供時代の世界や好奇心を忘れたことがなく、今でもそのままひきずっているというリシャール監督はこの作品は「子供の感性を通して、生きるというのはどういうことかを探っていくのです。私にとってこのテーマは特別ですし、どの瞬間においても精神的思い入れがありました。色んな点で今回の作品が第1作目のようなきがしています」と語っている。
出演は、セザール役に『バティニョールおじさん』のジュール・シトリュク、監督の実の娘であるジョゼフィーヌ・ベリ、俳優ソティギ・クヤテの息子であるマボ・クヤテという子供たちにプラスして、マリア・ド・メデイルシュ、ジャン=フィリップ・エコフェ、アンナ・カリーナなど。アンナ・カリーナの快演ぶりはちょっとした見ものです。
子供の気持ちを今でもひきずっているとリシャール監督自身が語るように、この作品の中で子供たちが持つ気持ちは、僕たちが大人になることで捨ててしまったり、忘れてしまったりしたものである。この映画を観ていると、そういったことって本当はすごく大切なことなんだよなと懐かしさと共に納得させられてしまう。セザールと友人たちは大人たちが取るに足らないこと、バカらしいことと思っていることで大きく悩み、反面、大人にはしがらみがあって出来ないことを自分たちが納得できるように軽々と飛び越えていく。そんなセザールたちの日常の冒険に笑い、ちょっと感動しながら、思うところはあの頃の気持ちです。自分は子供にそういう風に接しているのだろうか、ついそんなことを考えながら観てしまいました。ぜひ、劇場に足を運んでください。
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