「世界が絶賛!アルゼンチンから届けられた新鮮さに満ちた青春映画『ある日、突然。』」
多彩な文学や音楽などの芸術でも注目を集めるラテンアメリカ。その中でもアルゼンチンは文学ではホルへ・ルイス・ボルヘス、映画も素晴らしかった「蜘蛛女のキス」のマヌエル・プイグ、フリオ・コルタサルなどの作家たちを生み出し、音楽ではもちろんタンゴ、そして最近ではテクノ、アンビエントやエレクトロなどの音響派と呼ばれる分野でも大きな注目を集める地である。ただ、様々な映画が公開されているこの日本でもアルゼンチン映画となると正直、思い浮かぶものがない(検索してみたところ、僕が知っている作品では『ラテン・アメリカ/光と影の詩』があった)。今回紹介するのはそんなアルゼンチンから届いた作品『ある日、突然。』である。
『シティ・オブ・ゴッド』や『私の小さな楽園』など同じラテンアメリカの新しいブラジル映画が注目を浴びる中で、その他のラテンアメリカ諸国の映画に注目が集るのも時間の問題であったことは確かだろう。そういった中で公開される久々のアルゼンチン映画であるこの作品『ある日、突然。』は圧倒的な新鮮さに満ち溢れている。その新鮮さは、完成と同時に引っ張りだこになったという世界各地の映画祭で証明されることになる。地元であるブエノスアイレス・インディペンデント国際映画祭で審査員特別賞と観客賞を受賞したのを皮切りに、ロカルノ国際映画祭では準グランプリ、ウィーン映画祭では批評家連盟賞、ナント三大陸映画祭ではアルテ賞、ハバナ映画祭ではグランプリ、その他の映画祭でも圧倒的な支持と評価で迎え入れられているのだ。
ランジェリーショップで働く太り気味の女の子。流行や男の子には興味があるけど、風貌と性格ゆえにぱっとしないそんな女の子が、ある日、道端ですれ違ったパンキッシュな二人組の女の子に声をかけられる。彼女たちのひとりが、彼女に恋をしたというのだ。そんな気はないと相手にせず、逃げようとする太り気味の女の子だが、彼女たちに無理やり捕まえられ、行き先の知れない旅へと出て行く、というのがこの作品の物語である。
ざらついたモノクロの映像の中で展開していく物語は、前半では、太り気味の女の子の自信のなさと、パンキッシュな女の子がバイク、車を盗み、太り気味の女の子を拉致し、移動していくという観る側には「この物語はどこに導かれていくんだろうか」というキリキリするような切迫感すら感じさせる若さゆえの暴走、力強さを描いていく。しかし、後半、舞台が移動ではなく、パンキッシュな女の子の大叔母の経営するアパートメントに定住することにより、そうした切迫感は外ではなく個人の内面へと向けられていく。そこには外へ向けての暴走と対になったような孤独が横たわっている。
この作品を監督したのは撮影当時26歳の新鋭 ディエゴ・レルマン。『ある日、突然。』がはじめての長編作品である。作品について監督は「この作品は私自身が撮った短編『La
Prueba』(セサル・アイラの短編小説を自由に脚色したもの)から着想を得ています。40以上の国際映画祭で上映されたこの短編のおかげで『ある日、突然。』の製作のための資金を調達することが出来ました。1998年にこの『ある日、突然。』の着想を得て、シナリオが完成したのは2001年でした。その間、私の祖母が亡くなり、いったん完成したシナリオを再考し、書き直して
います。撮影スタッフには親しい仲間たち、女優たちも私が所属している劇団から選びました。撮影は普段は働いているスタッフたちが全員揃う週末に全て行っています。」と語っている。資金不足から撮影が中止になったとき、アルゼンチン国内は通貨危機とそのことから派生した国民によるデモに覆われていた。そのため、作品自体の完成が危ぶまれる状況もあったという。
そういった状況を乗り越えて完成したこの作品『ある日、突然。』は本当に僕らの前に現れてきて良かった、ありがとうと感じさせる作品である。ざらついたモノクロの映像、フランスのヌーヴェルバーグの向こう見ずなパワー、ジャームッシュの初期の映画のようなオフビートの感覚、そこに誰もが抱える孤独やつながり、年齢やスタイルなど様々なタイプの女性の生き方、自由さをぶち込んでいる。映像やスタイル、音楽のかっこよさや、女性としてのテーマに共感するもOKのアルゼンチンから届いた素晴らしい青春映画『ある日、突然。』(そして今後も要注目の監督ディエゴ・レルマン)。ぜひ、劇場に足を運んでください。
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