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『11'09"01/セプテンバー11』
11'09"01
2002年/フランス(オムニバス)/134分/カラー
(一部モノクロ)/ビスタサイズ/ドルビー・デジタル
配給:東北新社

キャスト スタッフ データ
マリヤム・カリミ/ エマニュエル・ラボリ/ ヌール・エルシェリフ/ ジャナ・ピーニョ/ リオネル・ジスリエル・ギレ / ウラジミル・ベガ/ ケレン・モル/ タンヴィ・アズミ/ アーネスト・ボーグナイン/ 田口トモロヲ 監督:サミラ・マフマルバフ/クロード・ルルーシュ/ユーセフ・シャヒーン/ダニス・タノヴィッチ/イドリッサ・ウエドラオゴ/ケン・ローチ/アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ/アモス・ギタイ/ミラ・ナイール/ショーン・ペン/今村昌平
統括プロデューサー:ジャック・ペラン/ニコラ・モベルネイ
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イントロダクション
「2001年9月11日に関する視点を集めた映画」 
 21世紀が始まって、最も重要な出来事は2001年9月11日にアメリカで起こった事件(同時多発テロ)であることは否定出来ないだろう。この事件を境に見えなかった事実が曝され、世界は急展開していった。今も、知識人をはじめとする多くの人々が、この問題について語りつづけている。  この作品「11'09”01 / セプテンバー11」のプロジェクトは、フランスの作家 アラン・プリガンの発案によりスタートとした。プロジェクトとの交渉の上、選ばれた11人の監督に提示された条件は「9月11日とその前後の出来事についての11分9秒1の映画。予算限度額4000,000ユーロ。事件から1年後の2002年での世界同時上映」のみ。完全な表現の自由の下で生み出される2001年9月11日に対する監督たちの視点。それに僕たちは何を見て、何を感じるのだろうか。  この作品が昨年の9月11日に公開(日本では1度きりの記念上映とTV放映)されて以降、アメリカを中心とした世界観にはきな臭さがずっと漂っている。今ではイラクの問題があり(これはアメリカの問題なんだろうが)、その問題もこの映画が公開される頃には片づいているのかもしれない(どういう結果であるにしろ)。ただ、世界同時上映を目標としたこの作品はアメリカでは未だ公開されていないという。自由を標榜するあの国が公開しない世界の映画監督達の視点とは何なんだろうか。そういうことも少し頭に入れて見てもらえればと思う。

ストーリー
「完全な表現の下の11の作品」
イランに亡命したアフガニスタン人の学校を描いたサミラ・マフマルバフ監督(『ブラック・ボード 背負う人』)、フランスからやって来た耳の不自由な写真家とツアーガイドの愛を9月11日に焦点を合わせて描いたクロ−ド・ルルーシュ監督(『男と女』、『愛と哀しみのボレロ』)NYのテロの直後、テロリストの亡霊たちと議論を交わす自分を描いたユーセフ・シャヒーン監督(『炎のアンダルシア』)、9月11日のボスニアの女性たちを描いたダニス・ダノヴィッチ監督(『ノー・マンズ・ランド』)、ビン・ラディンを捕まえて、自分たちの生活を向上させようと行動する子供たちを描いたイドリッサ・ウエドラオゴ監督(『ヤーバ』、『掟』)、ロンドンに亡命しているチリ人男性にとっての9月11日を描いたケン・ローチ監督(『ケス』、『カルラの歌』)、テクノに乗せて9月11日を捉えるアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督(『アモーレス・ペロス』)、9月11日のイスラエルの町を取材するTVレポーターを描くアモス・ギタイ監督(『キプールの記憶』)、9月11日を境に行方不明になり、テロ容疑をかけられた息子を持つ母親の苦悩を描いたミラ・ナイール監督(『ミシシッピー・マサラ』、『モンスーン・ウエディング』)、一見、ごく普通に見える老人の日常を描いたショーン・ペン監督(『インディアン・ランナー』、『プレッジ』)、第二次世界大戦の戦場から戻ったきた復員兵の変わり果てた姿を描いた今村昌平監督(『うなぎ』、『黒い雨』)。彼らの個々に描いた11の世界はパズルのピースやモザイクのようにひとつの映画として、何かを気づかせよう、感じて欲しいと訴えてくる。
(C)2002 STUDIOCANAL FRANCE-ALL RIGHTS RESERVED.
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