1971年、ウィスコンシン州の州都マディスンにあるマディスン書店の裏手に、ちっぽけな仮設の劇場が誕生し、「ベジタブルズ」という名のヘンテコな芝居がはじまった。映画、テレビ、CMなどをパロディの材料とし、ナンセンスに笑わせるスケッチ集とでもいったものだったが、11ヶ月も続演するほどの人気を呼んだ。台本を書き、演出し、主演したのはデヴィッドとジェリーのザッカ−兄弟、ジム・エイブラハムズの3人の若者であったが、この成功に気を大きくすると、ロサンゼルスへと進出し、「ケンタッキー・フライド・シアター」と銘うち、「ベジタブルズ」をさらに発展させた芝居をオープンさせた。「ケンタッキー・フライド・シアター」も4年間に15万人を集めるほどのロングランとなった。1976年に若者3人は、劇場を閉じると、いよいよ映画化に乗り出した。監督にはテレビの「ジョニー・カースン・ショー」にたまたま出演していた27歳のジョン・ランディスに白羽の矢を立てた。シナリオは、「ケンタッキー・フライド・シアター」の3人が、舞台でやったものを3割残し、残り7割は映画オリジナルとして書き上げ、1977年のはじめ、28日間で撮影された。当時のハリウッドにあっては破格の低コスト、短い撮影日数でつくられた作品がこれほど話題を呼ぶとは、もちろん誰一人信じていなかった。