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『平塚らいてうの生涯』

配給:岩波ホール

キャスト スタッフ データ
cast 演出:羽田澄子
語り:喜多道枝
製作:青木生子
撮影:宗田喜久松
照明:渡辺勝利
美術:星杢恵子
音楽:湯浅譲二
2001年/日本/2時間20分/スタンダード

イントロダクション
 『彼女は多くの業績を残している。そのすべてに触れることは不可能なことだった。しかし、彼女の魂の核心はとらえたいと願った。それが出来たかどうか?』
 日本の女性運動の始まりとして、1911年の文芸誌『青鞜』の創刊と平塚らいてうの「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった」に始まる発刊の辞は広く知られている。だが、その後の平塚らいてうについて知る人は少ないのではないか。本作は女性の解放と世界の平和のために真摯に生きた彼女の生涯を、ドキュメンタリー映画の第一人者、羽田澄子監督が描いた作品である。羽田監督は「誰でも知っているようで、詳しくは知られていない『平塚らいてう』。しかし、その名をきくと、すべての女性の心に灯りがともる。何故なのか。いったい平塚らいてうとは、どんな人だったのか。そんな私自身ももっていた疑問に応え、私自身が感じとったらいてうを表現しようとした」という。動くらいてうのフィルムがわずか14秒という困難な条件のなか、羽田監督は写真資料や多くの人々の証言を使い、まるでらいてうに会っているかのような映像に完成させた。

ストーリー
 元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」(『青鞜』発刊の辞より抜粋)平塚らいてうは1886年(明治19年)エリート官僚の娘として東京に生まれた。映画は、日本の近代史とともに、らいてうの生涯を綴ってゆく。両親を説得して日本女子大家政学部に進み、卒業。人生観の探求に明けくれる中で禅と出会い、坐禅によって生きる道を拓く。作家・森田草平との心中未遂事件。1911年、25歳で友人達と女性だけの手による文芸誌『青鞜』を発刊し、晴れやかな人間宣言を行ったころ。奥村博と出会い、自らも母となった後の与謝野晶子との母性保護論争。日本で最初の女性運動団体・新婦人協会を結成し、女性の政治参加への第一歩を築いた時代。そして、第ニ次大戦をへて、女性の幸福は平和があってこそと、女性の権利、平和のために、終生発言をしつづけ、1971年(昭和46)に85歳で亡くなった。
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