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現代の日本で最もカリスマ性のある俳優、高倉健が、文才にも長けていることはつとに知られるが、先頃、日経新聞の電子版に「高倉健のダイレクトメッセージ」が掲載され好評を博している。長い俳優人生の中でこだわってきたこと、心温まる出会い、母への思いなど、シンプルな筆運びで連綿と綴られたその転載を「あなたへ」の試写の前に渡されて目頭が熱くなった。
「辛抱ばい」母親がいつも口にしていた言葉。「この一言に支えられ、南極、北極、灼熱の砂漠から厳寒の冬山を駆け抜けてきました」健さんは常に「母に褒められたくて」仕事をしてきたと言う。気取らず奢らず黙々と俳優人生を歩いてきた彼の、懐の深さと優しさを、あらためて胸に充満させ画面に目を凝らす。
富山の刑務所内、受刑者が体操するグラウンドの横を、ひとり歩いて来る健さんの姿に思わぬ涙がこみ上げる。木工の指導技官、倉島英二に扮した彼は、長い廊下を渡り建物の中を延々歩いて作業所にたどり着く。少し痩せて太ももも細くなり、明らかに年齢を感じさせる風貌だが、齢80の歴史がしかと刻まれた男の、この上なく確かな存在感に圧倒される。神々しささえ感じさせる健さんは、これまでと同じように朴訥と言葉を紡ぎ、照れ笑いを見せる。枯れてもなお高倉健は、いぶし銀のオーラを放つ。
田中裕子扮する妻とは晩婚で、二人で暮らした十五年間が、いかに密度の濃い幸せな日々だったかを、回想シーンの眼差しや、さりげない仕草が物語る。妻は悪性リンパ腫で先逝き、遺された絵手紙の言葉に従い倉島は旅に出る。その決断を見守る同僚夫妻、旅路の途中で出会う男たち、妻の故郷長崎で世話になる親子......。さまざまな他人の善意に触れ、それぞれの事情を垣間見ながら、倉島の脳裏に妻との日常が甦る。
中でもビートたけしとのエピソードがいい。ペラペラと自分の話をする男の好意を受けつつ、倉島は旅の理由を語らない。相手の言葉に耳を傾け言葉を選び、結局呑み込んでしまう、彼の慎重さと純情が、健さん自身の人柄と重なって、胸の奥をじーんと揺らす。喉の動きと唇の表情で伝わる倉島の万感。背景の夕陽が絵のように美しい。
監督は、これが20本目の共作となる降旗康男。ともに青春を駆け抜け、苦楽を味わい、人生の秋を迎えた二人の信頼関係が、絶妙な間合いとリズムを醸し出し、唯一無二の誠実な人情劇を作り上げた。今年、観ておくべき逸品だ。
<合木こずえ>
8月25日(土) 全国東宝系ロードショー