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慈愛に満ちた家族の、かくも美しき叙事詩である。息子は、母に捨てられた記憶に固執しながら、母を敬愛し、労り、紳士的な距離を保つ。その娘は、作家である父に反抗しつつ歩み寄ろうと努力し、壊れゆく祖母に精一杯の愛情を注ぐ。伊上家の人々も彼の妹たちも、記憶を失くして彷徨う八重を囲んで円陣を組み、最期まで八重の尊厳を守り抜こうとする。それはまさに家族のあるべき真の姿だ。老いて正気を失くし、たとえ暴言を吐いても八重の存在が愛おしいのは、樹木希林の至芸と茶目っ気のみならず、一族が差し伸べる温かい手とまなざしが、常に八重を包んでいるからにほかならない。洪作と八重の辛辣さを帯びた会話には、親子だけに通ずるあうんの呼吸があり、我が身を重ねて見入る観客に苦笑と安堵をもたらす。リアリティに富んだ台詞、二人の絶妙な間合いと物腰、その表情。数回登場する母と息子のダイアローグは、そこだけ切り取って繰り返し見たいほど優れた名シーンだ。
幕開けは、大正五年のどしゃ降りの路地。民家の軒下、千本格子の前で佇む母と幼い娘たち。母は向かい家の軒下で堅く口を結んだ息子を見つめている。冒頭から惹き込む斬新なシチュエーションは、言わずもがな小津安二郎監督の『浮草』を代表する名場面だが、本音を隠してせめぎ合う男女の情愛に代わり、母と息子の口に出せない心模様が雨の中で交差する。やがてこのシーンが何度も脳裏に浮かび胸を締めつけることになる。そして画面は、雨の日の思い出に浸る52歳の伊上洪作へ。病床の父を見舞い、物忘れが激しくなった母を残して東京の家に戻ったその夜、父の訃報が届く。洪作は、最後に父の手を握った右手をしげしげと眺める。差し出された右手を握りしめた瞬間、突き放した父の真意は何だったのか。父と息子の間に横たわる積年の隔たりと、死への意識が我々の胸にも突き刺さる。
一年後、八重の記憶はますます薄れ、洪作を戸惑わせるが、突拍子もない発言の中に人生の大事な示唆が込められている。そこで明らかになる洪作の古傷が琴子の心をほぐし、父と娘の距離を縮める。八重の言動をもとに、自然に気持ちが繋がり、家族の奥行きを見せてゆく脚本の巧さ、老化による記憶障害を理解し細かく配慮した演出力。加えて役者たちの息の合ったなめらかな動きに脱帽する。食卓に際立つ「赤」や、凝った染付けゆかた、近隣から洩れ聴こえる音木の音色など「昭和の家族」を描いた小津作品へのオマージュも、随所に見られてほのぼのと楽しい。
背景に流れるのは、バッハの室内楽に似たのどかな調べ。抒情詩を語るがごとく伸びやかなメロディが、洪作を支配してきた寂しさの通奏低音を静かに強調する。
どんなに仲の良い親子でも、口にできない思いは数々ある。むしろ肉親だからこそ最後のベールを剥がせない。だがそれは他人同士の確執とは違う。相手の心を汲み取ろうとする優しさの本能が、踏み込む一歩をとどまらせるのだ。
伊上洪作と八重を隔てるどしゃぶりの雨は、長い年月を経て、やがて驟雨に変わる。
<合木こずえ>