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大切な家族の死は、どんなに歳を重ねても、そう簡単に受け入れられるものではない。ましてや11歳の少年ならば、父の不在は信じ難く「死」が何を意味するのかさえ理解できないのではなかろうか。父親は別の場所で生きている。そこから自分に交信してくるはずだ。茫然自失のまま空想する少年を、密度の濃い父との思い出が支える。
2001年9月11日の午後。緊急事態で自宅に帰されたオスカーは、留守番電話に吹き込まれた父の切羽詰まった声を聴く。宝石商の父は世界貿易センタービルで商談中だったのだ。二度。三度。「大丈夫だ心配いらない」家族を安心させようと父が遺した最後のメッセージをオスカーは聴くことができなかった。
葬儀の日も父の「死」を拒絶するオスカーは、以前にも増して心を閉ざす。知能指数は抜群に高いが、社会とうまく適応できない彼にとって、父親は最も信頼し敬愛してやまない存在だった。父は息子が恐怖心を克服できるよう「調査探検ゲーム」を考え、外に連れ出しては小さな困難に立ち向かわせた。そんな二人を前に、母親は入り込めない寂しさを感じていたが、事件後さらに距離を置く息子にどう接したら良いのか戸惑う。そして一年後、オスカーは父のクローゼットで1本の鍵を見つける。鍵の袋に書かれた”ブラック”という文字に気づいた彼は、鍵穴をつきとめれば父のメッセージを受け取れると信じ”ブラックさん”を探す計画を練る。マンハッタン、ブルックリン、ブロンクス、クィーンズ、ステタン・アイランド。徒歩で探し回るオスカーの視点で、生活感溢れる街の様々な側面が映し出され、新鮮味のあるN.Yを味わえる。深刻な状況の中でそんな余裕を持てるのは、天才的頭脳を披露するオスカーの緻密な計算とアイデアが実に清々しく、ふさいだ気分も一気に晴れるほどリズミカルに展開してゆくからだ。
街の喧噪のひとつひとつに怯えていた彼は”ブラックさん”を訪ねるたびに相手の痛みを知り、話を聴きながら少しずつ勇気を携えてゆく。やがて「祖母の家に下宿する謎の老人」と行動を共にする頃には、固執した悲しみから脱し大きく成長したようにも見える。そんな息子を母は遠くから見守るしかないが、サンドラ・ブロック扮する母は、オロオロしながらも毅然と母たる態度で愛情の真髄を見せる。オスカーを演ずるトーマス・ホーンは、実際天才少年だそうだが演技経験はない。天才という素質、その勘の良さと理解力の鋭さがナチュラルな芝居を引出したのだ。繊細すぎて物ごとに過剰反応する一面もあるが、端的な言葉を駆使しテキパキと手足を動かすオスカーの一挙手一投足は、我々に鋭気を与え活力をもたらす。息子と母親の揺れ動く感情のみならず、祖母と謎の老人の、言葉にならない深い思いもあぶり出し、人間のたくましい生命力や普遍的な情熱も再確認できる。老人に扮したマックス・フォン・シドーの無言の表現力、その表情の豊かさ。彼の重厚でいてさわやかな至芸に思わず手を叩きたくなる。
くじけそうになっても真摯に生きる彼らの物語は、喪失から再生へ、逞しく前進する人々への、たのもしい応援歌になることだろう。
<合木こずえ>