新着映画情報
人間が知能の発達した猿に支配され、驚異のラストシーンで終わる「猿の惑星」(68)は、映画史に名作として残る傑作である。世界中に衝撃を与えたこの作品が、時を経てふたたび甦った。それはオリジナルが残した謎を解明するはじまりの物語。最新鋭の映像技術もさることながら、現代人が常々心に抱く、人類の傲慢や弱さに迫るテーマに打ち震える。
舞台は現代のサンフランシスコ。製薬会社でアルツハイマー病の新薬を研究するウィルは、実験の犠牲になった猿が遺した子どもを引き取ることになる。その子はシーザーと名付けられ、同居の父親にもなついて成長する。一方、ウィルは開発した新薬をアルツハイマーで苦しむ父親に投与して成功を収める。
しばらくしてシーザーは類い稀なる知性を発揮し始めるのだが、病が再発した父親を助けようとして隣人にケガを負わせ霊長類保護施設に入れられてしまう。そこでシーザーが目撃したのは、職員による動物虐待と、猿仲間のヒエラルキーだった。やがて彼はゴリラやオラウータンを味方に付け、すべての猿たちを統率してゆく。知恵を働かせ愛する者を守ろうとするシーザーの優しさも、人間社会の中で彼を救おうと奮闘するウィルの辛さも、ともに痛いほどよくわかる。その切ないアンビバレンツに胸を焦がして、観る者は物語にのめりこむ。
苦悩し続けるウィルに扮したジェームズ・フランコの心理描写、父親役のベテラン、ジョン・リスゴーの表現力には圧倒されるが、シーザーを演じたアンディ・サーキスの演技はまさに白眉。その奥深い眼差しが今も脳裏に焼き付いて離れない。次々発明される薬の進化により、動物たちの知能がさらに発達する...。現実に起こりうる話だが、恐ろしいのは、人類を征服しようとする猿の軍団よりも、地球は人類のものと勘違いし、動物を利用して巨大ビジネスを企む人間の業だ。西洋医学の薬に頼る医療問題も含め、われわれはもう一度、すべての生きとし生けるものが目指す方向を考え直すべきではなかろうか。
<合木こずえ>