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原作者の夏川草介は、信州の病院に勤務する現役の医師。医療現場での体験をもとに軽やかなタッチで綴った小説『神様のカルテ』は、舞台となった松本平の人々にとって、非常に興味深い内容だ。実際松本市には有名な病院が2つある。ひとつは信州大学医学部の付属病院、もうひとつは私立の相澤病院という。主人公、一止が勤務する「24時間365日対応」のモデルになったのはもちろん相澤病院の方だ。
一止は名前のように「一に止まるのが正しい」をモットーにすべてにおいて熟考してから歩き出すタイプ。「惑い苦悩したときこそ、きちんと立ち止まって考える」彼は、溢れる患者を丁寧に診察し、激務に追われながら決してひとりひとりをおざなりにしない。まさに理想の医師である。彼と同じ価値観を持つ写真家の妻は、誰よりも一止を理解し支えている。小説には、一止を頼る患者や、同僚の医師、彼らが暮らす古いアパートの住人たちとの人情劇が連綿と綴られているが、映画はその中でも印象深い末期ガン患者との交流を軸に、人々の温かさと一止の苦悩をさわやかに映し出してゆく。
大学病院から末期ガンと診断され治療法がないと言われた安曇雪乃は、以前かかった一止の病院を訪れる。絶望感でうなだれる雪乃に一止は言う。「次の外来はいつにしましょうか」やがて入院した雪乃を、一止と看護師は心ある看護で勇気づける。タイトルの「神様のカルテ」とは、雪乃が一止に書き残した感謝の手紙に登場する言葉だ。
一止を演じているのは”嵐”の櫻井翔。丸顔の童顔、無造作な髪型が、一止のイメージにぴったりで、さらに優しくて良く通る声が、慎重な医師の思慮深さを表出する。妻役の宮崎あおいとの息も合い、二人が城山公園のベンチに腰をかける姿は、まるで童話の世界のように淡く美しい。切実な医療問題を主張しながら、全編を善良な人々の優しさで覆う、和みの秀作である。
現在私の父は、松本の大学病院で末期ガンの緩和ケアを受けている。だから試写中、加賀まりこが演ずる雪乃のセリフに父の言葉が重なり、誰も泣いていないのに、ひとり慟哭してしまった。毎晩病室で父に付き添い、医師や看護師と接しているが、気づいたのは実際の現場もこの映画のように明るく爽やかだということ。死と隣り合わせの患者の前でも、特に看護師は決して深刻にならず常に元気よくテキパキと仕事をこなす。小さなことで笑い合い、焦らず慌てず優しい声で患者をなだめる。その姿は不安だらけの患者や、憂鬱が染み付いた家族の心を静かに整える。大学病院にもきちんと言葉を選ぶ医師もいれば、インフォームド・コンセントと称してダイレクトな物言いをする医師もいる。そして「24時間365日対応」の私立病院にも温かみの欠けた医師だっている。医師も人の子、それぞれの性格により言動のニュアンスは異なって当然だと、両方の病院で様々な医師と関わり痛感する。患者や患者の家族としてすべきことは、受動的ではなく進んで病気について調べること、家族は本人の望む方法を探ること、そしてまず担当医を信頼してみることだと思う。
栗原一止のような医師は理想像かもしれないが、医療に関わるプロフェッショナルは、全員が彼を目指してほしいと切に願う。
<合木こずえ>