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5/11公開の「ブラックスワン」についての考察 「表現者の焦燥」
髪を夜会に巻いて鏡の前に座り、上目遣いで自分を見つめるナタリー・ポートマンに、一瞬ドキリとした。オードリー・ヘップバーンにそっくりだったからだ。劇中彼女が頻繁に着ている淡いピンクのアリスターコートも、オードリーを彷彿させる。ナタリー自身、清純なバレリーナのイメージを、オードリーに重ねていたに違いない。そんな清潔感あふれる可憐なヒロインが、すべてを賭けたバレエのために、奔放で邪悪な女にあこがれ、自分の殻を打ち破ろうとする。そのすさまじいまでの葛藤が、幻影と現実を行き交う映像の中で炸裂する。
かつてバレリーナだった母親の加護のもと、バレエひと筋に生きるニナは、ニューヨーク・シティ・バレエ団の新しいプリマとして「白鳥の湖」の女王に選ばれる。だが清らかな白鳥だけでなく、悪の化身、黒鳥も演じなければならないこの役は、純粋なニナにとって過酷な重圧、自分を解き放て!という芸術監督の厳しいダメ出しに打ちのめされてニナは苦しむ。
そんな彼女の前に、魔性の魅力を持った新人リリーが現れる。黒鳥のパーツを難なく踊るリリーに嫉妬したニナは、主役を奪われるのではないかという危機感から、ますます神経質になってゆく。
背中の引っ掻き傷、指のひどいささくれ、割れた足の爪...次々にニナを襲う身に覚えのない現象は、実際バレリーナたちが、舞台前に夢の中でよく見る光景ではないだろうか。役者が、ステージ上でセリフをすべて忘れてしまう、音楽家が、声が出せなくなる、といった悪夢を見るようにだ。ステージに立つ者たちはみな、高まる緊張と焦りに苛まれ、自分の心が落ち着く瞬間を待ち続ける。芝居にしろバレエにしろ、表現者がプロとして芸術を全うするまでの葛藤は、身体が破壊されるほどの苦痛を伴う。監督はそれを「殻を突き破れ!そうすれば自分を越えることができる」と一様に言う。だが、未熟な者たちには、その方法がわからない。表現者を目指しながら、やむなく脱落した者たちのほとんどが、自分の殻を突き破ることができなかった臆病者なのではないだろうか。
私もそのひとりだ。あの頃、それまでの己を捨てるという、バンジージャンプに匹敵するほどの勇気があれば、夢に見た世界で生きられたかもしれない。
それは、芸術監督がニナに仕向けたような性の解放だけを意味するものではない。身体を開くことは、必ずしも心を開くことではなく、性の快楽は、あくまでモラルでがんじがらめにしていた感性のタガを外すきっかけにすぎない。バレエへの一途な情熱を燃やすニナは、その小さな一点を突破し、数々のバリアを打ち破りながら、究極の表現力を身につけて行ったのだ。
ダーレン・アロノフスキー監督は、ナタリー・ポートマンという極めて柔軟な肉体を使って、一流芸術が生み出されるまでの壮絶な苦行を、丹念に映し出した。アカデミー賞最優秀主演女優賞に輝く彼女の演技もまた、葛藤の末、殻を突き破り、己を越えた結果に他ならない。
<合木こずえ(Koz) >
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<合木こずえ プロフィール>
映画コラム二スト。株式会社塩尻劇場東座代表取締役 。
映像制作会社-株式会社エグザクト取締役編集長。
長野県塩尻市出身。日本映像学会会員。
日本大学芸術学部演劇学科〜海外テレビ局日本代理店を経て、実家の映画館「東座」にて上映会およびイベント企画「FROM EAST」をスタート。単館系の秀作を上映しながら、シネマコラム二ストとして新聞、雑誌、WEB、TV、ラジオで新作映画を紹介している。また東京タワースタジオ内の(株)エグザクトにてシニア向けDVDマガジン「いまこそ」を制作。ゲスト女優やタレントのインタビュアーもつとめる。