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不器用な3兄妹の成長と家族の絆が少ない言葉で語られる。ベタつかない家族愛が心地よい。(70点)
プラモデルオタクの青年レイは、母の死後、やむなく実家に戻る。そこには、引きこもりの兄モーリーと生意気な妹リサ、そして死んだ母が日本から呼び寄せた “ばーちゃん”がいた。誰とも深く係わらず生きてきたレイだったが、この奇妙な共同体で暮らすうちに、次第に変化していく…。
「今日、ママが死んだ」。いきなりカミュか…!と焦ったが、物語のテーマは、人間の不条理というネガティヴではなく、家族の絆というポジティヴなものだ。変わり者の3兄妹と、彼らを上回る変人のばーちゃんの日常は淡々としていて、そこに、ばーちゃんがトイレの前で深々とつくため息はなぜ?という疑問や、ばーちゃんは本当に祖母なのか?という謎が、まったりと絡んでいく。
荻上直子監督らしく、語り口はぶっきらぼうだ。この人の演出は基本的に引き算で、説明的な要素はほとんどない。前作「めがね」では引き算しすぎて、何も残らない状態だったが、本作ではマイナス具合が絶妙だ。最も顕著なのが、劇中ほとんど言葉を発しない、もたいまさこ演じるばーちゃんである。英語が話せず、誰とも会話せず、飼い猫“センセー”にしか心を開いていないかに見えて、実は何もかも承知しているような、どっしりとした存在感がある。
モーリーにミシンの使い方を教え、リサのエアギターに理解を示し、孫たちのために餃子を作ってくれるばーちゃん。そんな彼女がトイレから出るたびにつく深いため息の理由をレイが懸命に探り、どうやら、彼女は、驚愕のテクノロジーに支えられた日本のトイレが恋しいらしいとの結論に達する。トイレの形態・様式は世界中で多種多様。民族の個性そのものと言っても過言ではない。静かに我が道を行く3兄妹と祖母の関係性を、トイレ文化に見立てたセンスが冴えている。しかも、ハイテクによって繊細な心遣いを込めた日本の最新式のトイレに、母国を投影させるさりげなさもナイスだ。トイレは、スタイルは違っても絶対に必要なもの“家族愛”のメタファーになっている。
3兄妹は、世間から見ると少し風変わりな異分子だ。そんな彼らのそばにいる、より大きな異分子・ばーちゃんときちんと対峙することで、人と人との慎ましいコミュニケーションを肯定する物語は、気持ちを温かくゆるめてくれる。花柄のスカート、迷わず選ぶ好物のイクラ、7枚の同じシャツ。小さなエピソードの積み重ねが、キャラクターの確固とした個性を見事に描き出した。愛すべき彼らだからこそ、勇気を出して一歩前へ進もうとする姿を心から喜べる。
異国の地で暮らす異邦人のばーちゃんは、劇中でたった1回しか言葉を発しない。そのひと言こそ、3兄妹とばーちゃんが血のつながりを超えた本当の家族としてスタートする高らかなファンファーレだ。ただそこにいるだけの猫に心が和むように、ときおり無言で微笑むばーちゃんの存在に癒されるように、この作品の無愛想な空気が心地よい。荻上監督が海外で映画を作るのは初めてではないが、全編カナダロケ、全編英語で作品を撮るのは初めて。その意味で監督自身が“異邦人”だったのだろう。出来上がった物語には“太陽のまぶしさ”ではなく、陽だまりの優しさがあった。