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ごく普通の人間がいつのまにか国家を揺るがす機密にかかわっていく過程がリアル(65点)
20世紀最大級のスパイ事件の一つ“フェアウェル事件”をベースにしたサスペンス・ドラマは、祖国のためを思うからこそ国を裏切る、究極の自己犠牲だったとするスタンスが興味深い。1980年代初頭、KGBの幹部であるグリゴリエフ大佐は、技師ピエールを通して西側・フランスの国家保安局にソ連が入手した極秘情報を流す。それは世界のパワー・バランスを崩してしまうほどの破壊力を持つトップ・シークレットだった…。
映画には印象的なエピソードがある。狼の家族を描いた詩は、家族を逃がすために狼の父親が自ら犠牲になるという内容のもので、超大物スパイのグリゴリエフが好んだものだ。彼がスパイの汚名をきてまで目指すのはソ連崩壊後に来るであろう素晴らしい世界を、愛する息子に見せるため。グリゴリエフは西側への逃亡も金銭的な報酬も求めていない。仏国家保安局から思いがけず大役を担ったのは何の訓練も受けてないピエールだが、そんな民間人だからこそ怪しまれないと彼を連絡係に選んだグレゴリエフは、やがてピエールと絆を育んでいく。ついに機密漏洩が明るみに出た後、大佐の投獄、ピエールの家族の亡命と、静かな緊張感を持って物語が進んでいくが、そこに立ち上がってくるのは、理想の世界を夢見る個人の思いとは別の、ソ連や米国という超大国の非情な政治戦略だ。名監督であるエミール・クストリッツァが、屈折した祖国愛を抱えるKGB高官で、息子を愛する父親を、深い皺と不敵な面構えで堂々と演じきっている。ストーリーは、ごく普通の人間がいつのまにか国家を揺るがす機密にかかわっていく過程がリアルだ。スパイというのは、映画で描かれるような、派手で見栄えのするものではなく、現実では地味でさりげなく大仕事をこなすものなのだろう。共産主義体制の破綻をあえて引き起こし理想の世界が来ると信じたグリゴリエフの“予想”は、現実では裏切らてしまうことを、21世紀を生きる我々は知っている。だからこそ、次世代のためにあえて国家を裏切った彼の人生に、哀愁とロマンティシズムを感じてしまう。