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■映画チラシ

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■インタビュー会場にて

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■インタビュー会場にて

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■インタビュー会場にて

 5月9日、都内某所にて、この6月17日に東京のシネスイッチ銀座をはじめ、全国ロードショー公開されるチャン・ツィイー主演の話題作『ジャスミンの花開く』のプロモーションのために来日したホウ・ヨン監督の合同インタビューが行われた。中国映画界を代表するカメラマンとしてチャン・イーモウ、ティエン・チュアンチュアンなど様々な監督の作品に関わってきたホウ・ヨン監督にって、この『ジャスミンの花開く』は初監督作品であり、中国国内はもちろん、各国の映画祭でも高い評価を持って迎え入れられた。中国に生きた女性の三世代に渡る物語であるこの作品はその三世代を全てチャン・ツィイーが演じたことでも話題になっている(2004年中国金鶏奨最優秀女優賞 受賞)。インタビューは作品、初監督、チャン・ツィイーのことを中心に、最後の写真撮影時間の最中も監督の厚意により質問が続けられるというリラックスした雰囲気の中で行われた。ホウ・ヨン監督はエゴの強さなどは余り感じられない、普通だけどやはりカメラマン出身という職人気質の感じられる人物だった。
  当日の記者会見の内容は以下の通り(質問内容、回答などは読みやすくなるように手を加えています)。

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Q:3人の女性の名前には花の名前である“ジャスミン”(“茉莉花”)が使用されていますが、そこには女性を象徴する意味があるのでしょうか。

ホウ・ヨン監督:日本でもそうだと思うのですが、中国でも女性を“××の花”というように象徴、例えとして使用します。この作品のタイトルは中国では有名な歌である「ジャスミンの花」(原題「茉莉花」)から取られています。そして世界中で愛飲されている“ジャスミン茶”もあります。“ジャスミン”(“茉莉花”)には、茉(モー)、莉(リー)、花(ホア)という3人の個人の女性、それが“茉莉花”となることで全ての女性になるという意味を自分なりに込めました。また、それが“開”(ひらく)、咲くわけですから(注:原題は『茉莉花開』である)、幼かった女性がだんだんと成熟していくという過程を“開”に込めています。

Q:監督は女性の自立や力強さを描きたかったと語っていますが、最初に見たときは男運の悪い物語という印象を受けました。「婦女生活」という小説を元にしているようですが、その原作もそのような物語なのでしょうか。

ホウ・ヨン監督:確かに小説は男のためにそれぞれの女性が悲惨な運命を辿るという物語ですが、映画の中で私はそうした見方は変えているつもりです。私の見方は女性の不幸は男に原因があるのではなく、自分自身に問題があるのだというものです。ここに描かれた男たちは悪人かといわれると3番目の花の男はそういう部分がありますが、他の男は決してそうではないと私は思っています。茉の男となる映画会社の社長である孟(モン)は彼女を弄んで捨てたのではなく、彼なりに彼女を愛していたと思います。では、なぜ彼女を捨てて去っていったのかといえば、去っていく前の晩に彼は茉の住むホテルの下で雨の中立ち尽くしています。そして翌日に日本軍が上海に進駐してくるのです。彼はやむなく彼女を捨てて逃げるしかなかったのです。もちろん、戦争が終わったら戻ってきて彼女を探せばいいではないかという意見もあるでしょうが、人間は環境が変わったらまた新しい物語が始まるのですから、彼を責めることは出来ないと思います。莉の夫となる偉(ジェ)は本当に素晴らしい夫だと思います。彼は彼女のために自分を何度も犠牲にしていますし、家庭を愛するマイホーム主義者だと思います。男運が悪かったといいますが、私はこのように違った見方を持っています。

Q:3世代の女性の物語ということで、それぞれのパートが“緑・赤・青”と象徴的に表現されていましたが、それぞれの色のイメージについてお聞かせください。

ホウ・ヨン監督:脚本が出来上がったときに最初に考えたのが、どのような色調で撮るかという映像プランでした。これは自分がカメラマン出身だから最初に浮かんだことで、カメラマンをしたことのない監督なら最後に考えることになるのでしょう。それぞれの時代をどの色で表すかを考えたときにまず、自分が好きな色である“緑”が浮かびました。1930年代は経験したことも見たこともない時代ですが、そうするとそこにファンタジーや憧れがあります。ですから寒色でも暖色でもない中間色で表したいと思いました。また、どっちつかずで生きるための信念がない、夢はあるがどうすべきかという自覚のないあやふやな茉のイメージが寒色でも暖色でもない中間色にふさわしいなと思いました。
  1950年代は政治がかった“赤”をイメージしました。中国はまさに政治の時代であったので火をイメージする“赤”という暖色で表現しました。
  1980年代は“青”で表現したのですが、私はカメラマン時代“青”が好きでした。私がカメラマンを務め、日本でも公開された『青い凧』(1993年/ティエン・チュアンチュアン監督)も“青”が基調となっています(ポスト・プロダクションは日本で行ったという)。私のイメージでは“青”には憂鬱な憂いとともに、希望もあります。だから、この物語にぴったりだと思いました。それにあの時代の中国人は灰色や紺色を着ていたので、時代の色という部分もあります。

Q:監督としての撮影に際し、これまでのカメラマンとしてのキャリアはどのような形で影響していますか。

ホウ・ヨン監督:先ほども語りましたが、最初に色彩プランが浮かんでくるところはカメラマンの習性だと思います。その他にカメラマンをやっていてすごく良かったなと感じるのは、例えば小説を読んでも映像がパッと頭に浮かんでくる、映像で物事を考えるところだと思います。他の監督でしたら、脚本を読み、こういう映像にしていこうというまでに様々な過程があると思うのですが、私の場合は自然と文字が画面に浮かんできます。そういう風に視覚的に物を考えることが出来るという点が監督をするに際し、カメラマンをしていて良かったなと思える部分です。

Q:10年以上前から自らの手で映画化したいと思っていた原作だそうですが、その魅力はどこにあったのでしょうか。また、製作までに10年以上を要した理由、動き出したきっかけは何だったのでしょうか。

ホウ・ヨン監督:この小説は読んだのは1992年です。友人の紹介で読んだのですが、元々、作者であるスー・トンの小説のファンで、この小説も読んですぐに気に入りました。そしてこの小説は構造的に映画に向いているなと思いました。1章、2章、3章と3つのエピソードになっており、それぞれに母と娘の関係が引き継がれていくのがその大きな理由です。もうひとつ、向いているなと感じたのがこの作家の持つ独特の文章スタイルです。普通の小説でしたら地の文と会話の文がかぎカッコなどにより分かれているのですが、この小説は全てが続くのです。心理描写などは余りないのですが、会話を読むと心理がよく分かるようになっているのです。切れ目のないこの文章スタイルはリズム感を生み出し、映像的なものにもなっているので、映画に向いているなと感じたのです。
  ずっと映画化しなかったのは、カメラマンをやっていたこと、監督になりたいという強い欲望がなかったからです。誰かが監督をやってみないと声をかけてくれるなら楽なのですが、自分から監督をやるとなると映画への出資者を探したりなど大変です。カメラマンの仕事も途切れなくありましたので、あせって監督をやりたいということはなかったのです。それがある人からお金を出すので監督をやってみないかとたまたま理想的に声をかけられ、他人から背中を押される形で監督の道に入ってきたというわけです。

Q:北京電影学院撮影学科を卒業していますが、最初から監督ではなく、裏方志望だったのでしょうか。

ホウ・ヨン監督:北京電影学院を受験したときには裏方とか表方という意識はありませんでした。私は子供の頃から絵を習っており、美術が好きだったんです。私は西安の出身なのですが、西安で北京電影学院が募集した中に美術学科がなかったのです。たまたま、私の地区から募集をしなかったのですが、だったら一番近いかなという理由で撮影学科を選んだのです。

Q:作品の製作総指揮には監督がカメラマンとして関わったティエン・チュアンチュアン監督も関わっていますが、どのような形で関わっているのでしょうか。

ホウ・ヨン監督:最初、この映画に投資した会社にティエン・チュアンチュアン監督のオフィスが所属をしていたのです。そして今ではティエン・チュアンチュアン監督はこの投資会社の顧問になっています。ですから、顧問としてこの映画に投資した会社からの監修ということになっているのですが、実際は撮影に入るまではティエン・チュアンチュアン監督も関わっていたのですが、ポスト・プロダクションの頃にはティエン・チュアンチュアン監督自身の仕事が忙しくなって手を引いています。

Q:主演のチャン・ツィーさんと初めて会われたのはカメラマンを担当した『初恋のきた道』だと思いますが、そのときの印象、その作品から10年近くの歳月を経て、彼女の変わったところ、変わらないところを教えてください。

ホウ・ヨン監督:彼女に最初に会ったのは『初恋のきた道』の前、ロケハンに行ったときに監督が連れてきて紹介したのだと思います。彼女は中央演劇学院に入学したばかりの1年生だったと思うのですが、見るからに女の子という感じでしょっちゅう動き回っていて活発な印象でした。また、彼女は演劇学院の前に舞踏学院にいましたから、(役者というより)ダンサーという感じでした。その時はみんなで撮影のための村を探していたのですが、ある村の入り口で犬が突然吠えて、後にいた美術さんが彼女を犬に向かってドンと押したら「キャー」と大きな悲鳴をあげた臆病、気の小さい普通の女の子だなというエピソードが印象に残っています(笑)。
  『初恋のきた道』の撮影が始まってすぐに聡明で感のいい子だなと思いました。ただ、演技に関していえば、演劇学校に入ったばかりですし、演技というものの程でもなく、地で演じているという感じでした。でも、こうした部分は『ジャスミンの花開く』の撮影では全く変わっていました。自分とは全く違う人物を作り上げることが出来るという役者としての成長を感じました。

Q:チャン・ツィイーさんの女優としての才能、魅力はどこにあると思いますか。

ホウ・ヨン監督:私が個人的に思う彼女の魅力は聡明であるところです。今の状況を把握し、相手がどう思っているか、こうしたらどう思うのかなどの分をわきまえています。そして、自分が何をすべきか、何を必要としているのか、どうなりたいのか、そのためには何をしたらいいのかということを明確に掴む能力を持っています。
  彼女は急激なスピードででスターになったので中国国内のメディアでは彼女のマイナス面を取り上げる、ゴシップを探しまくる傾向が強くなっています。誰でもあれだけのスターになれば嫉妬などからそういった部分が出てくると思うのですが、マイナス面ばかりが取りざたされ、相当なプレッシャーも感じているだろうし、昔ほどには心穏やかな生活も出来ていないと思います。スターになるにはそれなりの代価も払わなければならないということなのでしょうが、私生活がうまく行っていないだろう部分が気になります。

Q:この作品では3つの時代の上海を描いていますが、上海出身でない監督にとって街並みを再現する上で苦労した点などはありますか。

ホウ・ヨン監督:全然苦労しなかったと言えば嘘になりますが、私にとってはそれ程大変ではなかったというのが正直なところです。上海の味わいや昔の上海の雰囲気が問題でなかったのは私が旧社会の上海が好きだったからです。1930年代の上海は東洋のハリウッドと呼ばれ、映画会社が100社以上もあり、年間100〜200本もの映画が製作され、ハリウッド映画もほとんど同時に公開されていたという資料も読みました。その時代に対する強い憧れがあり、作品の第1部はそういう世界の中で描いたら面白いだろうなと想像力を膨らませることで作り上げていったので、大変さはなかったのです。もうひとつ、原作を読んだのとほぼ同時期の1993年に私は上海でCMを撮影しています。それは1940年代の上海を舞台に有名な歌手をその当時の雰囲気に仕立て上げた2分程のストーリー性のあるものです。その時に上海を詳しく調べ、はまってしまったので、そういた部分がこの作品を撮ることに役立っていると思います。

Q:チャン・ツィイーさんをはじめ、キャスティングはうまく行ったのでしょうか。また、茉の母、莉の母、花の祖母と3役を演じるジョアン・チェンさんは監督の経験もありますが(『シュウシュウの季節』『オータム・イン・ニューヨーク』)、何かアドバイスはありましたか。

ホウ・ヨン監督:キャスティングはスムーズにいきました。ジョアン・チェンさんは役作りに関して「こんな動きがいいのではないか」など色々なアイデアを持っており、ほとんど彼女自身に決めてもらいました。

Q:カメラを自分で覗くことはあったのですか。

ホウ・ヨン監督:それはしていません。モニターを観ていただけです。

Q:チャン・ツィイーさんにその世界をどのように演じるべきかという話し合いはしていたのですか。

ホウ・ヨン監督:それは常にやっていました。まず、撮影の前は全体としてそれぞれをどのように演じ分けるのかを話しました。最初に第2部から撮影をしたのですが、その時にこれから撮影する第1部や第3部の人物像について説明すると混乱するので、その部の人物像についてだけ話すようにしました。本当に良く演じ分けてくれたと思います。

Q:映画は花とその娘のシーンで終わっています。原作にはないと思いますが、花の娘の物語を撮るとしたら、どのようなものを考えますか。

ホウ・ヨン監督:そのことについては私たちも撮影中によく冗談を言っていました。第4部を作るとしたら“開”(カイ)の物語だねということです(笑)。じゃあ、“開”はどのくらいの時期がいいかねとなると大体20年スパンの物語ですから、作品のエンディングが1992年くらいだとしたら、2010年くらいの10代終わりから20代かなということです。ま、そういう話はしましたということです(笑)。

Q:次回作の予定などがありましたら、お聞かせください。

ホウ・ヨン監督:ひとつの作品を終え、翌年に次の作品を撮ることが出来る監督というのは常時手元に10本くらいの脚本を持っているものです。ただ、監督がこれを撮りたいといっても出資者がいるとは限らないので選択肢は多いに超したことはないのです。現在、私の場合は3本のものしかなく、そのうち2本はまだ脚本も出来ていない状態です。今はTVドラマの撮影を終えたところで、この後はそのポスト・プロダクションがあります。その後に脚本になっていない物語を脚本化し、いずれ新しいものを撮りたいなと思っています。

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『ジャスミンの花開く』は6月17日 シネスイッチ銀座ほか全国ロードーショー。
オフィシャルサイト: http://www.jasminewomen.jp/

●作品に関する詳細はこちらで。
●監督のサイン入りマスコミ用プレス・シートのプレゼントもあります

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